東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

般若身経の解説~愉しく生きるために。

おはようございます。

 

この世に生を受けたからには、身がなければ自分の存在は無いのであり、身心のバランスを保ち、様々な環境に適応しながらも、自分なりに愉しく満足して生きていかなければならない。

ここでいう「愉しく」とは「楽しく」ではない。

 

「楽しい」というと、テーマパークに行った時のような、与えられた枠の中で楽しむような、どちらかというと受動的な意味合いがあるという。

対して「愉しい」のほうは、自分自身の気持ちや想いから感じ生まれるたのしい状態の事で、自分の意識、気持ち、考え方次第でどうにでも変化できる能動的な意味合いがあるようです。

 

自分の人生は他人様から与えられるものではない。自分の人生なのだから自分自身で、自分なりに愉しくしていくものだと思います。

その為に、全ての存在には快、不快を識別する能力である原始感覚が備わっている。

だから、快をききわけ、快の方向へ向けて生きていけばいい。

師がよく言われるところの「石ころにだってバランス感覚はある」という事なのだ。

この世を創った創造主の真意は、みんなそれぞれ愉しく満足して生きろよ、という事なのだと思う。

 

その真意に応える為にも、身心の健康は大事である。

だから、操体では「からだにききわける」「からだにとっての快、きもちよさ」という事を重要視している。

その為の取り組みも、体操のように動いて、からだにききわけても仕様がない。

からだは自然環境に適応するように動く事を望んでいるわけであるから、その為のルールなり法則というものがある。

それを表したのが般若経であり、般若身経はからだの使い方、動かし方の自然法則を究明してきたものです。

 

ルールに則って行い、身体を操り、からだの感覚をききわける。

不快であれば、からだがそれ以上やってほしくないサインと受け止め、快であればからだと共に気持ちよさを全身で表現しながら、気持ちよさで身と心を調和させていく。

感覚はその時々、バランス状態によって違いますから、快の感覚ををききわけるのが愉しみとなってくれば、身心の健康を基礎から調え、底上げさせていく事が可能であり、そこから人生を十分に愉しんでほしいという事なのです。