おはようございます。
東京操体フォーラム実行委員ブログ、今週は友松が担当いたします。どうぞ宜しくお願い致します。
今回のブログのテーマは「常識を疑う目」。
単に「常識を疑う」という事をテーマとしたのではなく、「常識を疑う目」としていることに意味があるように感じられます。
疑ってばかりでは、猜疑心や疑心暗鬼にもつながり、安心できないですものね。
しかし、常識に安住してしまえば、進歩や発展は見込めない。
常識ということについて、ウィキペディアを見ていたら、こんなことが書いてありました。
・・・哲学者の三木清によれば、常識の上位概念として良識(りょうしき)があるという。彼によれば常識人が常識を無謬のものとして受容し、常識を盾にして非常識を断罪するのに対し、常識に疑問を持てる知恵が良識なのである。・・・
では良識とは?
常識というものは、或る閉じた社会に属する人間に共通な知識を意味する。一つの社会の常識と他の社会の常識には違いがあり、それぞれの社会にそれぞれの常識があるということになる。
それとは別に、あらゆる人間に共通な人類的な常識というものもあり、こちらは特に「良識」と称することができるという。
そして、それは「自然的光」によってすべての人間に知られるものであって、直接的な明証をもち、知性の自然的な感覚に属しているという。
単に疑うではなく、良識を育むことが大事。そして、良識を育むには感覚を無視してはいけない。