手順を追って、正確に操っても、
手本を真似て、上手に操っても、
「感覚=表現」にはならない。
「感覚=表現」は
意識関与とは、もっとも遠いところにあるから。
習慣的に身につけた無意識と、
「からだ」の無意識は違うってコトも、
「感覚=表現」であらわれてくる「からだ」は教えてくれる。
(からだ主語)
その意識関与を手放したとき、
あらわれた「からだ」は吸気をとおして教えてくれる。
ここに、
ここに、
ここに立つ。