意識するから、感じられる。
感じているから、意識になる。
あべこべのようなことも、
「からだ」がききわけているから、「からだ」にききわけられる。
(からだ主語)
感じようとしていないのに、
意識しようとしていないのに、
気づいたら表現している「からだ」はあって、
そんなときは、
「からだ」がききわけている、ということだけになって、
「わたし」はおいてけぼり。
なんてことはなく、
ちゃんと「うごき」と「ながれ」にのっかっている。
「からだ」と重なって、消えているだけだから。