東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

操体の説明・・・5

おはようございます。

 

生き方の自然法則の中の一つである「身体運動の法則」は、確立されたものではなく研究と研鑽が重ねられるにつれ、何度も修正がされ、より良いものへと更新されてきました。

しかし、どんなに良いものとなっていったとしても感覚は無視できない。

 

特にボディの歪みが顕著な場合、本人が法則どおりに身体を使い、動かしているつもりでも、不自然な動きとなっている場合が多い。

感覚をききわけずに、無理して不自然な動きをとおしていれば、更なる歪みを生じさせるし、ケガにもつながりやすい。

 

これは自力自療の意味にもつうじるが、よくある健康体操の謳い文句にあるような「このような運動を行っていれば、健康でいられる」というものではない。

動きの感覚をききわける事が大事。気持ちよいという感覚で良くなり、結果的に健康の回復、維持、増進につながるのだから。

身体運動の法則を知るのは大切だが、それよりも感覚の方が大切。

 

操体臨床の第2分析に於いても、身体運動の法則に基づいた動きを念頭に動いてもらうが、動きというのは、自分で意識してのものだけでなく、無意識的にも部分部分が相関相補しながら一つの全体的な動きが表現されている。

全体的な動きの流れが、自分の意識した動きだけで成り立っているのなら、感覚のききわけは必要ないかもしれません。

しかし、それは違います。

自分の意識できている動きなぞ、無意識のからだの動きからすれば、ほんの一握りに過ぎません。

だから、からだにききわけるのです。そして、感覚によってからだは動く。

不快であれば動きの流れを堰き止めようとするし、警報としてのサインを感覚をとおして自分におくってくれます。

快の質が高ければ、動きの流れは循環し、全体的な調和は密になっていき、バランス制御に働きかける。その感覚を味わう時空は至福であり、からだだけでなく心も満たされていく。

本当に有難く出来ているのだと思います。

また、生きているという事は「からだにも生かされて生きているんだな」と感じます。

 

生き方の自然法則は、どちらかといったら相対的であり「自分が、こうしなければ、こうなってしまうよ」といったニュアンスがあります。

これは自己啓発を促すには良いです。

しかし、自分という存在はからだに生かされている。そして、からだは大自然によって生かされている。

「生かされて、生きている」これは絶対的な事実であり、この絶対的事実の有難さを感じる事も大切です。

 

自然法則というのも、人間の生き方に向いたものとして捉えるだけではなく、他の有難く生かしてくれているイノチともより良く調和し、生かされて生きる為の法則という捉え方も必要なのです。

人間は、様々な要因、お陰で、有難く生かされている。そしてその上で、生きている。

その有難く生かされている様々な要因や、その起因についての真理を学び、学問としているのも操体です。

ですから、操体の学びというのは幅広く、そして奥が深いのです。