おはようございます。
「気持ちよさをききわければいいんだ、気持ちよさで治るんだからな」
この真理は、操体法の法を治療テクニックの方法論として捉えてしまう人には、理解しがたいことだと思います。
しかし、生命現象の根底には「イノチあるものの存在は快の方向性にむく」という大原則があり、その為の快の方向性に向けた自然の法則を究明、応用するという意味で、操体法の法を捉える必要があります。
操体創始者、橋本敬三先生は、元々の身体の設計にミスはなく、人それぞれ個性はあれど、誰もが気持ちよく満足して一生をおくれるようになっているのに、なぜ病気になって苦しまなければならないのか? と考えました。
そうなってしまうのは、個々の生き方に何か間違いがあるのではないだろうか?
生き方の間違いとは?
人間は、元々は大自然より生じ、大自然と関わりながら気持ちよく生かされ、そして生きるべきなのに、わざわざ不快な方向性に向く生き方をしてしまうところにある。
元々備わる原始感覚を鋭敏にする必要があるのは勿論だが、大自然と関わりながら気持ちよく生きるための法則が自ら在り、その法則に背反するから気持ちよく生きられずに病気になってしまう、という事なのです。
生き方の自然法則を知る必要がある。
では、生きている人間すべてに当てはまり、自らそれをしなければ生きていけない生命活動の営みとは何なのだろうか?
突き詰めて絞っていけば「呼吸」「飲食」「身体運動」「想念」となる。
この4つは他人に変わってもらう事のできない、自己必要最小限の生命活動の営みである。
そして、そこに自然法則が在るということは、その法則に自分で合わせていく責任があるという事であり、責任転嫁はできないし、無責任であれば不快な方向性に向いて、やがて病気になってしまうのです。
その自然法則を長年探究、究明してきたのが操体であり、究明した自然法則に合わせるようにしてもらえば、気持ちよく生きる事につながり、未病つまり病気にならないように予防できるのです。
そして、その究明した自然法則を応用してきたのが操体の臨床部分である操体法なのです。
気持ちよさのききわけに対する臨床である第2分析も、究明してきた「身体運動」の自然法則を応用して、気持ちよさのききわけにつなげているのです。
気持ちよく生きるための自然法則を応用している限り、わざわざ第1分析のように辛い動きを確認する必要は無く、また操者(施療者)が介助の仕方を含め動きの自然法則に精通するほど、被験者に不快感覚を生じさせることはなくなり、快適感覚に焦点を絞った臨床をとおすことができるという事なのです。