東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

土台から。

おはようございます。

 麦畑の麦にも、ようやく穂がついてきたようです。麦一本一本が黄緑色のなかに黄色い穂を掲げ、風の向きに逆らうことなく、いっせいに穂を揺らすその姿は、大地の雄大さや恵みを象徴しているかのようです。

 何事にも土台が大事だとは、よくいわれる事です。
 操体操体法
 操体法は、創始者である橋本敬三医師が、日々の治療として行なっていたものを指すが、はじめのうちは名称などなく、創始者自身も「名称なんてどうだっていい、真理が大切なんだ」と名称が無い事を意にも介してなかったという。

 そのうち、その治療効果の高さが評判となり、テレビやラジオなどのメディアが、どっと押しかけるようになり、名前が無ければ紹介しようがないということで、つけたのが操体法という名称だったという。

 操体法という名称の方が先に世間に知れ渡ってしまったわけだが、それによって「○○病には、どういった動きをすればいいんですか」といったような方法論を得たくて、訪れる人も非常に増えたという。

 しかし、操体法の法というのは方法論の法ではなく、法則の法なのだ。法則とは自然法則の事であり、創始者が治療として行っていたものは、自然法則を応用し、向き合った一人一人を快復に導く為の貢献にあったのだ。

 見方を変えれば、自分自身が生涯かけて自然法則の解明、そして究明といった取り組みで得たものを、向き合った人のからだの要求に応じ、からだと共にその神性におさめていたのだと思う。だから晩年は「気持ちよさをききわければいいんだ」という様に、変わっていった。

 

 創始者、橋本敬三先生の思想、哲学、生命観、死生観を含めたものを操体と呼ぶが、本来、土台とするべきものは、こちらなのだ。

 こちらを土台にしなければ、楽から快へのシフトチェンジはなかったと思う。いつまでたっても、ツライ方から楽な方に動かし、楽にする為の方法論に終始していたと思う。

 しかし、楽では、からだの要求に応えることが出来ないのだ。もしかしたら、土台であるべき操体も自然消滅していたかもしれない。

 

  成してきた事を学ぶのではなく、成さんとした事を学んでいく。

 操体を土台にして、創始者が解明、究明してきた事を含め更に耕すように、それぞれが体感をとおして原究していく。

 そして、それぞれが臨床の場だけでなく、自分自身のおかれた環境の中で、自然法則の応用、貢献という生きた柱を立て、生長させていく。

 天の中心に帰一していった創始者へのおさめだと思います。