おはようございます。
身体を治すのは、あくまで、「からだ」。
そのからだのバランス制御の原動力となるのが、気持ちよさという快適感覚。
楽とは違う、その感覚。動診、操法に於いて、その「気持ちよさ」という感覚には、自分の意思による脱力さえも忘れさせてしまうものがある。
また、自分の意思で脱力したつもりでも、気持ちよさによって、動きを継続させバランス制御に向かう「からだ」。
橋本敬三先生の直弟子である三浦寛先生は、橋本先生の晩年の頃にからだを診させていただいた時のことを、いくつかの著書で書き表しています。
当時はまだ、楽な方に操法をとおし脱力するやり方で、診させていただいたようですが、橋本先生は他の被験者(患者)とは、まるで違う動きの表現をしていたという。
その動きは、視覚でとらえやすい外側の動きではなく、触れることでわかるようなからだの内側からの動きであり、従来の楽な動きでは表現できない動きだったという。
この時、橋本先生は、ただただ気持ちが良いという快適感覚を味わっており、脱力も操者の指示によるものではなく、からだの求めに応じた無意識的な脱力をされていたようです。
この当時は誰も、気持ちよさ、快適感覚に問いかける動診、操法など行っておらず、橋本先生自身も楽な方に操法をとおし、脱力するやり方を行っていた。
しかし、橋本先生は、日々、御自分で自力自動による動きをとおしていて、気持ちよさによって自力自療が適う、という事を御自分の身体がより良く変化していく過程から悟っていたのだと思う。
自分の運動の動きで自力自療が適うのではなく、気持ちいいという感覚で自力自療が適う。
運動による動きではなく、感覚。気持ち良いという快適感覚で、からだが動く。
こうした事実、真実が明らかになるにつれ、逆モーション療法とも呼ばれた運動感覚差を確認しての、楽な運動での整復法から、からだの要求を尊重した臨床のとおし方にシフトしていく事となる。たわめの間然り、脱力の仕方然り。
そして、橋本先生が現役を引退された最晩年の頃、橋本先生より
「気持ちよさをききわければいいんだ。気持ちよさで治るんだからな」
という言葉が発せられる。
明日につづく。