以前のブログでも書きましたが、わたしが操体の学びで得ていることの一つは「学び方」です。
その学び方とは「感覚の学習」でもあります。
当時は創始者の哲学を学び、そして師のやっていることを真似ていくことで、それを少しでも再現することをゴールにしていました。
それは学生の時の教科書の丸暗記みたいなもので、テスト前の一夜漬けのような「思考の学び」であったように思います。
そういった姿勢では何も生まれないことと、その先に繋がらないことをからだが動きと呼吸を通じ感覚というフィルターを介して教えてくれたように感じています。
その気付きからのわたしの学びは「感覚の学び」になりました。
現在のわたしの学びの核にあるのは師が何を見て、何を見据え、何を感じているのかをからだと共に動きと呼吸を通じてキャッチし共有することです。
それを繰り返す中で師が示している学びの方向性をからだが理解してくれて、そのからだからのメッセージを言葉にしていくことを学んでいるように感じています。