(続き)
仮に、大脳新皮質の脳と、それ以外の脳に、それぞれ意識があるとした場合。
「大脳新皮質」主体の場合は感覚的に、
「息・食・動・想」そして「環境」は、個体における外界の適応において、
意識・信念・心のような、「精神活動」で対応しやすくなる。
「それ以外の脳」主体の場合は感覚的に、
「息・食・動・想」そして「環境」は、個体における体内環境の適応にて、
呼吸・消化排泄・姿勢の保持・免疫などで対応しやすくなる。
「それ以外の脳」に含まれないとする場合は感覚的に、
「息・食・動・想」そして「環境」は、皮膚での地球環境の適応において、
生命循環維持における、全て自律性主体の自然法則性で適応しやすくなる。
つまり、「からだ」そのものが、主語になる。
じぶんはからだに、いったいかして、いいもわるいもないじょうたい。
自分は「からだ」に一体化して、良いも悪いもない状態。
主語を変えた「操体」の捉え方での「息・食・動・想・環」でありたい。
(続く)