東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

ふれる習慣6

日常生活のなかで植物や野鳥に親しみを感じるようになって、そういった生きものと少し積極的に触れ合う機会をもつようになると、何気ない外界からの情報の入り方にも変化を感じるようになった。

 

一番はっきりと感じたのは、町を歩いているとき、もしくは自転車で走っている時の感じの変化だった。

 

私は少なくとも週に一回、三軒茶屋に自転車で通っている。

移動する時間帯によって、その道中に出会う情報は様々だ。

 

早朝7時頃の移動では車も人も往来は少なく、風が吹いているのを感じ、朝日の気持ちのよさを味わいながら快適にスイスイ移動できる。

 

これが、当たり前のことながら、昼頃の移動だとそうはいかない。

車も人も格段に増え、気が付くとそういった対象に意識を向けながら目的地に向かってただただ移動しているのに気が付く。意識が人の往来などに引っ張られているのを感じる。

 

その意識の向け具合のようなものが植物探索や野鳥の声に興味を抱くようになり、少し変化したように思う。

目も耳も意識の範囲が拡がって、人や車の存在にも及びつつ、もう少し空間的な捉え方に変わった気がする。

 

例えば、道中に名前のわかる植物が増えていくと、毎週通る道なので、「馴染みの存在」みたくなる。なんだか、ことばを持たない生き物の友人と目を合わせ挨拶しながら移動している感じになる。

 

遠くから鳥の鳴き声が聞こえてきたら、それだけで感覚意識の範囲が変化するように感じる。何かスイッチが入るような感じがある。

 

その時の空間的な視野は、人や車に注意をしながら移動するときの集中した感じとは異なって、もう少し空間的なゆるみをもちながら情報を受け取っている感じがある。

 

こんな風に振り返ってみると、今までは色々なものに気を付けながら移動していたようでいて、障害物をよけるような感覚で、或る種、局所的な意識の向け方をしていたのかもしれないと感じる。

窮屈な意識の使い方をしながら、雑踏の空間に臨んでいたのを感じる。

 

感覚意識にスイッチが入って、情報を受け取る感じに少しゆるみが生まれると、人混みの中にいても、もっと他の情報も感じられて、受け取り方にも隙間が生まれているのを感じる。

 

空間から受け取っている情報が変化する。

これも探索を通しての興味深い変化としてたのしんでみている。