(続き)
雑草図鑑を片手に探索をはじめた最初の頃、先日のブログでも触れたとおり、なかなか図鑑に載っている植物を見つけることができなかった。
普段の目線の高さで「この植物生えてないかなぁ」と探していてもなかなか見つからない。ようやく見つかりだしたのは、しゃがんで観察するようになってからだった。
このしゃがむまでの道のりが、意外と自分にとっては重い腰をあげるといった感じで、そこがひとつの分岐点となっているのを感じた。本腰をいれていなかったのだ。
普段生活をしていて、何かを観察するためにしゃがむなんて、ほとんどしていないことに気が付いた。と同時に、こどもの頃はしゃがんで観察していたよなぁと思い出した。
このスタイルで観察しはじめると、立って漠然とながめていた時には見逃していた植物や、小さな花の存在が目に入ってきた。
見ているようで、見えていないものがあることに驚いた。同時に、探索の面白さも断然増して、だんだん図鑑に載っている植物と出会えるようになってきた。これはとても不思議な変化だと感じた。
見えている世界のスケール感や解像度のようなもの、
それが、しゃがむことで大きく変化するのがとても面白い。
しゃがむことで、「見る」から「見えてくる」に変化することもあるのかもしれない。
なぜだか分からないけれども、このしゃがんでいる時の感覚意識と、
場面は変わり、皮膚に触れて、からだからのメッセージを受け取っているときの感覚意識が重なるように感じる。
これも植物と「触れ合う」ようになって、教えてもらった。