<結婚も、開業も、学問も>
卒業と同時に開業し、一年は治療家としても、経営者としても大変だった。
更に朝から晩まで、ひたすら患者を診ている。
休日は私自身、治療をしてもらわなくては健康を維持できなくなってきた。
報いもあれば救いもある。ヒトはみな良心を頂いて、それを気づかされる。
私自身、「からだ」とか「イノチ」に導かれたとしか言いようがない。
医道の日本の研究会特集、橋本敬三先生の高弟で、現在東京操体フォーラム
理事長の三浦寛先生の主催する東京操体法研究会に参加させて頂いた。
20年前の私は、症状疾患をできるだけ早く取り去るのを第一の目的として、
臨床で五十肩を愁訴とする患者に辟易し、往生していたため意気揚々と操体
講習会場にその実技を教えてもらおうと思っていた。
ところがどっこい、症状に関する質問には全て同じ答えが返ってくる。
「気持ちの良さを聞き分ければ良いんだ」という、たった一つの答え。
しかも、教えて頂くのは「第一分析」ではなく「気持ちの良さをききわける」
第二分析であり、しかも、初期の講義の内容は、抽象的とも思える太極の思
想や、救いと報いなど「想」の語られる内容に戸惑うばかりでもあった。
※注:太極の思想=実相(=在るもの)理念における万物創造の源は無限界
(=太極)であり、陰陽未分の一なるものである(太極は絶対、陰陽は相対)
陰陽は異質であるがゆえに、親和反発の加減によって、波動として陽となり
かつ具現化して、現象界を成している。
波動とは、エネルギーの具体化でもあり、不可視から生まれ、現象となる。
この現象こそ、私たちの一般的な生活、この空間であり、目に見える世界。
元々、心理学や精神医学に興味のある私も、橋本敬三先生の哲学や、思想を
延々と学ばせて頂きながら、その真価に触れ、信仰と「救いの生命観」に、
いつのまにか、私自身の想念ごと、魂の要求として引き込まれていった。
されど全ての人間にそれは必要であっても、必要と考えない講習生もいる。
講習中のある時、しびれを切らしたように受講生の一人が言い放った。
「気持ちの良さで治るってなんですか?」
「橋本敬三先生の書かれている操体法を教えてくれるのかと思って来たのに、
いつまでたっても教えてくれないじゃないですか」
「ここでは、橋本敬三先生の痛いほうから痛くない方向へ動かして脱力する
操体法を教えてくれないのですか?」と突っかかったのである。
これに関して当時の三浦寛先生は、
「そうじゃないんだよ。橋本敬三先生が晩年おっしゃった臨床の問いかけは、
楽じゃないんだよ、快なんだよ」と、説明するが受講生も引き下がらない。
根負けしたのか、当時の三浦寛先生は、他の受講生も知りたいのかと尋ねられ
賛成多数だったため、一息入れた後で第一分析の指導が始まった。
当時の私は、待ってましたとばかりに飛びついてはみたものの、な・ぜ・か、
第一分析の動診は、操者の決めつけが多いということがわかった。
要するに、「気持ちの良さ」がキーワードになっておらず、操体法としての
「第二分析」よりも、かえって理解しにくいことがわかってきたのである。
その刹那「治すことを教えているのではない」と、いう言葉がよぎった。
まさに「治すことを教えている」ように感じられたのだから当たり前である。
(※万病を治す妙療法より抜粋~p125)
「健康というものは自分の責任で守るものです。しかし、どうしたらいいのか
についてのだいたいの道筋を教えるのが医者です。あとはあなたがやるかや
らないかの問題で医者の責任ではないのです」
このときは、操者の決めつけを排除した第二分析にこそ、操体法の神髄を感じ
てこそ、想愛の神髄、自力自療の妙味がある、当時の私自身もそう感じたのだ。
(続く)
今年も操体マンダラ、海の日に開催致します。
※「操体マンダラ」とは?
三浦寛が一日、操体の最新情報について語る、操体三昧の一日です。
弟子一同にとっては「師匠孝行する日」。
東京操体フォーラムや、通常の講習では語りきれないことを、
存分に出していただこうという算段です。
今年からはリクエストにお応えして、10時〜21時の開催になります。
昼食会
サイン色紙&ツーショット撮影会
足趾の操法®アドバイザー認定、操体プラクティショナー認定式、
今年より「足趾の操法指導者」認定を行います。
開催日時:2019年7月15日(月)海の日
10時〜21時 ルーテル市ヶ谷センター
★予約制で、当日の参加受付はありません。ご注意下さい