おはようございます。
東京操体フォーラム理事長である三浦寛先生が、操体創始者である橋本敬三先生の内弟子になった時に、初めに教えていただいたのが、人間を含めた生物の起因や生命現象創生にまつわる話だったと聞きます。
生命現象の生物の組成を逆に考えてみるならば
生物の世界は有機の世界から生まれる
有機は無機の世界から
無機の原子は素粒子より成り
素粒子はエネルギー波動の世界より生じ
波動は陰陽二極の世界から起こる
陰陽なる性質の決定は、無限なる太極の意志である。
太極の意志とは「愛と調和」である。
各世界には、ひとかわ上の世界が入り込み
また各世界には太極が普遍貫通していることになる。
これは「救い」の生命観の根幹を示したものではないかと感じます。
橋本先生は若かりし頃に、盛岡の牧師、平野栄太郎先生から「救い」と「報い」の区別をはっきりと教えられたという。
「報い」は相対的であり、この世に於ける生き方に対する相対的評価であり、自分の行いによって加減変化する価値観である。
「救い」は絶対であり、神性相続権であり、何ものも覆すことができない久遠の事実である。
橋本先生は自己単独における観の転換により、この「救い」を悟ったという。
太極を神とすれば、神性相続権というのも頷ける。
創造主とか神といった言葉が出てくると、怪しいとか胡散臭いと思う人もいるかもしれません。
しかし、誰にでも神性は宿っています。時には自分に向き過ぎた「報い」の想念から、天に唾を吐くような気持ちになる時もあるでしょうが、そんな気持ちは長くは続かない。
気持ちが悪いからなのでしょうね。自分はどうでも、自分のからだは気持ち悪いのでしょう。
だから、誰かを「ゆるせない」といった感情を持ち続ければ、バランスを崩して病に陥りやすいのだと思います。
誰にでも、神性は宿っており、見えないところでつながっているのでしょうから。
臨床でも、臨床家が向き合うのは単なる物体や機械ではなく、からだであり、神性の宿った生命なのです。
昔から言われているように、医学は単なる修理医学であってはならないと思うし、臨床家も修理屋であってはならないと思うのです。
それには、感覚というものを重視する必要があるのです。
操体臨床では、本人にからだの快感覚をききわけていただく第2分析。
そして、どうしても感覚のききわけが困難な人にも、渦状波®による皮膚へのアプローチにより、からだの生命感覚に直接に快適感覚を問いかける第3分析も行われています。
そしてまた、三浦寛先生により、操体臨床は第4分析、第5分析へと進化を続けています。
この進化は生命に優しく、そしてより効果の高いものへの進化です。
この進化も、操体創始者の橋本敬三先生から臨床技術だけでなく、思想、哲学、真の生命観を学び、操体と操体臨床(操体法)をリンクしながら、50年以上の長きにわたり深め、研鑽を重ねてきた三浦先生だから、可能だったのだと思います。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
明日から畠山裕美先生の担当となります。
来週もどうぞ宜しくお願い致します。