東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「あなたに操体・操体法をお薦めする理由」六日目

あなたに操体・操体法をお薦めする理由、を改めて考えてみると、
 
「想」という部分では大分助けられました。
 
「自己肯定感を高めることができる」のではないかと思います。
自己肯定感が低いというのは、非常によく聞く話です。
 
自己肯定感とは、自分をどのくらい肯定的に思っているか、否定的に思っているか、自分に対する評価や判断のことです。
もうちょっと言うと「ありのままの自分」を認めているか、ということも関わってきます。
 
このように書くと「ダメな自分のままでいい」ということにもなってしまいますが、そうではなく、「ダメな自分」を良し悪しで評価するのではなく、それをありのままに認めることです。
 
つまりは、何でもガチポジティブというのではなく
「自分はダメだな」→落ち込み
というよりも
「自分はダメだなって、落ち込んじゃってるな」(と、認識)→前向き
という感じでしょうか。
 
これは数年前の東京操体フォーラムでも発表しましたが「アナ雪」で「ありのままに」というのが流行りました。あれ、最初はみんな「ありのままの私を愛して~」みたいな想像をしたようなんですが、実は「私は偽らずに、ありのままの自分で生きていく。それで嫌われたって、私は構わない」という、エルサ(姉)の、人生における自立宣言の歌なんです。知ってました?
 
 
かといって、先日、あるところで、
「おい、それってあやまるとこだろ」というところで
「ありがとうございました」と超ポジティブな返事を返されて「イラッ」(笑)とした私です。。。
 
なお、もう一つ思い浮かぶのは、
「他人が自分のことをどう考えているか気になって仕方ない」という人です。
全く考えないのも考えもの?ですが、常に「あの人は自分のことをどう思っているんだろう」と悩む。
 
ここで思い出すのが「救いと報い」の話です(知らない方は、橋本敬三先生の「からだの設計にミスはない」か「生体の歪みを正す」を
お読みください。操体を勉強する上では避けては通れない話です)。
 
橋本敬三先生は
「中学の後半から、猛烈な自己嫌悪と劣等感に悩まされた」(からだの設計にミスはない P42)とあります。
そりゃ若い頃は、自意識過剰とか、若気の至りとか、精神的なことと、肉欲との板挟みとか、それは色々あるでしょう。
 
その頃の苦悩は深刻で飯も喉につかえて通らぬ日がたびたびありました。自己批判やら及第の不安やら
恋愛のことやらが、二重にも三重にもなって私を責め立て、宗教などとは無関係に平気でやりたいことをやっている人たちが羨ましかった。
 
これが、23歳の時、平野栄太郎先生という盛岡の牧師に出会い、悩みから解放されるわけですが、
何故解放されたかというと、
 
ちょっと長文ですが、引用します
 
私はこの時、「ああ、そうか、そうだつたのか」と素直にうなずけた。なあんだ、今までがんばれ、がんばれと言われてがんばってきたけれども、別にがんばることもなかったんだな、俺はもう初めから救われていたんじゃないか。
俺のこの生命は、俺が生まれる前からもうあったんだな。だとしたらこの生命は神と同格の永遠の生命そのものじゃないか。何もこんなに罪を犯したの犯さないのとジタパタすることなんかないじゃないか、と。
 
ーーその時のうれしさ、喜ばしきっていうのは、とても私には表現できないね。
自分が救われたいなんて望む必要はきらきらないんだ。自分が何をしようが、そんなことは問題じゃない、これほどラクなことはないじゃないか、と。
そして、私はこの”救い”ということが、自分の行為や思わくとは何んの関係もない、ということを知ると同時に、”報い”ということをも平野先生から教えられた。
自分のそうした思わくや行為は必ず報いられて、自分の上に遅かれ早かれ現われてくる。この地上に私たちが生きている限り、私たちはか報い。を避けることはできない。
人間の設計にミスはないこの世は因果応報の世界なのだと。
 
中略
この”救い”と”報い”を端的に言うなら、”救い”は絶対、”報い”は相対だということである。”救い”は絶対の無罪宣言であり、神性相続様であり、何者もくつがえすことのできない久遠の真理である。”報い”は現世における歩み方の努力に対する相対的評価である、と言えるでしょうか。
 
 
この時の経験、つまり「救い」(最初から、救われているという絶対。私はよく、縦軸と言います)と「報い」(この世で行ったことに対する相対的評価。私はよく横軸と言います)の違いを知ったことにより、その後の橋本敬三先生は
 
何ゃったって大丈夫だ、俺がその報いを受ければいいんだからと、締めくくっています。
 
これは、まさに自己肯定感が高まった時のことを示しています。
 
私達は、橋本敬三先生の若き日のエピソードを学ぶことによって「自己肯定感」というものを学ぶ事ができたのです。
 
息食動想の「想」の部分です。
 

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