「がんばらなくてもいいんだ」と、「がんばるな」は、若干ニュアンスが違いますが、操体における「バルの戒め」は、「すでに最初から救われているから、がんばらなくていいんだ」という意味に解釈できます。
つまり「がんばる」という行為を禁止しているのではなく、最初から救われている(絶対)のだから、そんなに無理してがんばらなくてもいいんだよ(相対)ということです
生まれながらにして救われていると安心し、娑婆(この世)では、因果応報(自分の行いが、良いこともわるいことも全てはねかえってくる)によって生かされている
「操体」におけるがんばるな、とは?
橋本敬三先生の若き日の「救いと報いの違いを知る」という経験がベースになっている
橋本敬三先生が「がんばるな」と言ったのは患者さんに向けてではなかったか?
「からだ」に向けてでは?
橋本敬三先生は医師という立場から「がんばるな」という言葉を使ったのではないか?
病気の時はからだが辛いわけであり、それは当然のこと。それを受け入れて、心まで折れてしまわずに、からだにお任せしなさいという意味ではなかろうか
★オリンピック、スポーツ選手
試合に向けて十分な練習を積み、国の威信をかけて戦うのであるから「がんばる」のはおかしいことではない。「ベストを尽くせ」「能力を出し切って」と言い換え可能では?
★患者への「がんばるな」
病気なのだから、からだが辛いのは当然のこと。 当然のことで思い悩むことはなく、気持ちを落ち着けて、生かされている命に感謝し、からだにお任せしなさい(治療を受けなさい)。
「がんばるな、間に合っていればいい」
これも、医師として、患者に伝えた言葉として捉えると納得がいく
★自己肯定感が低い人への「がんばるな」。
人の評価を自分の評価にしなくていいんですよ。やりたくないことを我慢してやることが「がんばる」ことです。自分の評価は自分でしていいんですよ。
★一般の人への「がんばるな」
自分のこころやからだの意思に反して、やりたくないことを我慢してやるということには、限度があります。限度を越すと、からだやこころを壊してしまったり、人間関係や環境をこわすことがありますので、注意すること。それが「からだにききわける」「こころにききわける」ことです。