東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

霊魂を賭けて

今年の5月、ゴールデンウィークの「足趾の操法集中講座」の際、第77回操体指導者養成コースに参加している寺本君が、三浦先生に本を手渡した。私もすぐ側にいたので、その本を見せていただいた。
薄い小冊子のような本で、表紙に「霊魂を賭けて」と書いてある。発行人 橋本敬三 と書いてあった。
私も驚いたが三浦先生の顔にも驚きの表情が浮かんだ。
T君は「ネットの古本屋で見つけたんですが、僕が持っているよりも先生が持っていたほうがいいと思って」と、言った。

表紙をめくると「発刊の言葉」が書いてあった。

永遠のむかし、創世の以前に、神の御獨子(おんひとりご)のうちに、
神の像に似せてつくられし我ら、
現在の世に生れ來り、迷ひ、造りし御方を忘れ果て、
罪のうちに絶望してありしもの。
父の獨子、この我らを救はんと、同じ肉體を具へて來まし、
その肉體を罰して亡ぼし、罪を消し去り、永遠の生命は肉に非ざる御自身のうちにあることを
示し、信仰の眼を開き給ひし御方。
救主、イエス、キリスト。
この御方を知り奉る時、現在に起る奇跡を、
今や我らは若き一姉妹に見た。そして彼女の往きし所を教へられた。
その始末を記録したのがこの小著である。
昭和十一年八月二十七日

この小著は、昭和17年7月17日に18歳で永眠した、坂井澄子さんという女子高生があの世に召され、その際いかに神の教え(キリスト教)に帰依して、死を恐るることなく旅だっていったか、ということが書かれているのである。彼女は死の少し前にバプテスマ(洗礼)を受けていた。坂井澄子さんは感冒をこじらせ、学校を休学していた。その病床で、洗礼を受けたのである。
本書は三部に分かれており、最初の章はおそらく教会の牧師に当たる方が書いている。第二章が橋本敬三先生の担当で、最終章が澄子さんの父上の担当となっている。
昭和11年と言えば、昭和8年に函館で「橋本敬三診療所」(投薬は漢方中心)を開業した数年後である。「大演習の前の集団種痘接種」など、戦争の影が見え隠れしている。

橋本先生は、日記形式で澄子さんの病状悪化から、毎日の見舞い、彼女の最後の大きなお勤めとなった、病床での祈祷、そして死去までをつづっている。文学的で、イメージがわきあがってくるような文章だ。

三浦先生は「こんなにキリスト教に帰依していたとはな」と感慨深そうだった。
私も、お若い頃の「救いと報い」の話や、その他の断片的な記憶で「お若い頃はキリスト教に熱心だったのだな」とは思っていたが、確かにこれほど熱心だったとは思わなかった。年齢的には39歳前後の時だ。戦地への応召一年前のことだ。

「救いと報い」の違いを知り、性格が一気に「呑気者」になり、結婚したのが大正9年、23歳の頃だ。それ以降、橋本先生とキリスト教との関係はどうなっていたのかは、文献には載っていないが、この小著を読むかぎり、39歳に至るまで、キリスト教と深いご縁があったのだと思われる。

ちなみに「頑張るな」(頑張らなくていい)という考え方は「救いと報い」(絶対と相対)からきている。これは聖書のエペソ書から大きな影響を受けている(「生体の歪みを正す」参照)

生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

このように、キリスト教と深いご縁を持っていらっしゃった敬三先生だが、洗礼は受けておられない。これについてはよく考えるのだが、多分、現在のキリスト教は「救いはない」と言っているからだと思う。実際、数年前の全国操体バランス運動研究会では、仙台の教会の牧師様が「救いはありません」と言っておられた。
「生体の歪みを正す」にも記載があるが、本来、キリスト教は「救いと報い」がちゃんとある。エペソ書にも書いてあり、橋本先生は、それで「救い」があることを知り、また「報い」があることを知った。ところが、現在は、いくら神が「救われているんだよ」と言っても、人間がそれをなかなか理解しようとしない。そこで、敢えて「救いはない」という教えにしているのだ、と書かれている。

いずれにせよ、本書は貴重な資料である。

今回、本書についての執筆と紹介を快く許可して下さった三浦先生と、素晴らしいお宝を見つけたくれた寺本君に感謝致します。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催