おはようございます。
操体を語る上で忘れてならないのが、創始者、橋本敬三先生の生命観であろう。
橋本先生は、その生命観を基に、健康に関しても以下のような文章を残している。
神その像(かたち)の如くに人を創造りたまえり
人は神の像なのである。神の像なる人間がなぜ病気をしたり死んだりせねばならないか。
これは医学の範囲外ではあるが、重要な関係がある。
人が神性を自己に発見し、よくよくこれを思い、全く神人合一した状態においては、病も死も問題の外に置かれる。
そして、その神性が発揮されればされるほど人は健康である。
神に病や死がないと同様に、その像である人にも、その通りであるべきはずである。
神と人とが同じ像であるという信念から離れるほど完全な像から遠ざかってくるのは当然のことである。
これを迷いというのであろう。
迷いが深まるほど、人の生活は神性顕現から遠ざかる故に、健康を害する因子を積み蓄えることとなる。
像も歪んで(ひずんで)来たらざるを得ないわけである。
「生体の歪みを正す」 力学的医学の構想ー求学備忘録の冒頭より抜粋
ここに書いている神とは、高額の壺を買わなければ災いが起こる、御利益がないとしているような見返りを求める神、いわゆる人間のつくりだした報いの神ではない。
此の世を創造した絶対的な救いの神のことである。
人間はじめ此の世の存在全ては、本然の救いの神を発祥としているという。
神が何も無い無極無限の世界に、愛と調和という意志でもって陰(-)と陽(+)を設定したから、そこに波動が起き、そのエネルギーから物質の素が出来、原子、分子と物質になっていき、宇宙はじめ大自然が出来、そして人間という生命も生まれてきた。
この成り立ちの全てに、愛と調和という神の意志がかかわっている。
私達の身体も60兆という細胞からなっているが、その細胞一つ一つにも愛と調和という意志による成り立ちがあり、愛と調和という意志が貫通しているから、からだとして機能して存在している。
元々は神性を相続しているという事。
此の世に生まれてきただけで、素晴らしい事なのであり、此の世に生きているという事は、もうすでに有難く救いが成立しているから生きていられるという事。
しかし、人間はいつの間にか、神人合一の信念から離れた生命活動を営むようになってしまった。
そして、どのような状態が健康な像なのかも解らず、迷いに陥っている。
それは、からだを不正当に使い、不自然な飲食、上手く活用できていない呼吸にもつながってしまっている。
だから、橋本敬三先生は「息」「食」「動」「想」と「環境」とのバランス現象に着目し、誰でも真の健康を蘇らせて神人合一が叶うような自然の法則の究明に、その生涯を捧げたのだと思う。
橋本敬三先生の成さんとしていた事、それは寿命の都合もあり生前は成されなかった。
しかし、橋本先生の下で長年学んできた三浦寛先生に、その意志は引き継がれた。
三浦先生により、操体は橋本先生の意志を引き継ぎつつ、進化してきた。
そして、三浦先生は今新たに新重心理論を提唱している。
学ばせていただいて感じるのは、従来にはない新しい理論ではあるが、橋本先生の求めていた真の健康像の提示なのではないかという事。
あとは自分の生き方次第であり、有難みを忘れずにからだと向き合い、愉しみながら心も成長させていければ良いのだと思う。
一週間のお付き合い、ありがとうございました。
来週は畠山裕美先生の担当となります。
どうぞ、おたのしみに。
友松 誠。
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