東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

六日目 第七の天と太極の意志。

操体を勉強し続けているが、たまに自分の「穴」に気がつくことがある。知っていると思っていても、少し「穴」というか盲点になっているところだ。
今回、あることがきっかけで自分の「穴」をつくづく思い知ることになった。
それは「第七の天」である。

これについて橋本敬三先生の著書で書かれているのは「生体の歪みを正す」の285ページ、三浦先生の「快からのメッセージ」(58ページ)のみであると記憶している。

快からのメッセージ―哲学する操体

快からのメッセージ―哲学する操体

三浦先生の話によると「18歳のガキ」の頃、橋本先生に聞かされたのだが、当時はさっぱりわからなかった、とのことだった。私も最初に読んだ時は何だかさっぱりわからなかった。勿論一度や二度読んだだけで理解できるわけがない。
その後、色々な本を読んでみたが、橋本先生が「生体の歪みを正す」で書いていらっしゃる「唯物弁証法」は、ソ連社会主義的な唯物論だという理解に達した。
「万物運動の起源は物に内在する矛盾から生ずる」ということだ。多分平たく言うと、あらゆる矛盾を暴露し、叩き、自分の意見(社会主義?)が正しいのだということだ。「オマエが間違ってるぞ!オレが正しいんだ!」と、理論的に相手をつぶしていくような感じだろうか。あるいは、唯物弁証論では同性は反発し、異性は親和すると認めているそうだが、異性にせよ差がが激しければケンカが大きくなるという。つまり、社会主義的唯物弁証法は、親和性もあるのだが、その戦略上「反発闘争」のみを強調するらしい。

橋本先生は、ここで「これは現象(つまり相対的、眼に見える世界)を論ずる学問なのだな」と気づく。
その前に橋本先生は「易」を事例に出し「易では内在する矛盾を陰と陽という二つの異質の勢力であるというが(中略)二つは必ず相対して存在し、大きくみれば、これは一つのものである。時に二つの面として現れる。二は一にして、一は二だと言う。陰陽未分の一なるものを太極と言う。
この太極が万物発祥の源だという。太極は無極無限であり、無限界のうちに陰陽の現象が展開するのであって、現象のうちには無限が貫通普遍しているというのである。

社会主義的な唯物弁証法では、現象界に神は普遍していない。ところが、東洋では、現象界(宇宙)に神が普遍しているとしている。

生物の世界は、有機の世界から生まれる。有機は無機の世界から、無機の原子は素粒子から成り、素粒子はエネルギー波動の世界より生じ、波動は陰陽二極の世界から起こる。

「陰陽なる性質の決定」は「無限なる太極の意志であり」「この太極は、生物からみれば、第七の天になっている」

私の解釈だが、無限なる太極のみでは、無限なる太極のみである。
そこで、太極の意志が「陰陽に分かれよ」と、陰陽にわけた。まるで細胞が分裂するように。陰陽に分かれると、それぞれエネルギーの性質が違うので、まるで陰陽が互いに恋にでも落ちたかのように、波動を発する。
これは「はるか昔、人間は両性具有だったのだが、神が二つに引き裂いて、互いに求め合うようにした」という伝説にも何となく通じるような気がする。
波動は素粒子を生む。私は物理がさっぱりダメなのだが、素粒子というのはそれ以上細かくできない粒子ということは知っている。つまり、万物の「もと」ではないか。

今年の7月「神の素粒子」と呼ばれる「ヒッグス素粒子」が発見されたというニュースが流れた
ヒッグス粒子は、英国の物理学者ピーター・ヒッグス博士(83)が提唱。宇宙誕生の大爆発(ビッグバン)直後、宇宙空間に漂っていた素粒子に質量を誕生させる過程で重要な役割を果たした「神の粒子」と呼ばれている。標準理論で存在が指摘された他の素粒子は98年までに次々と見つかっている。宇宙のナゾが解明されるのだろうか。

素粒子に「質量を誕生させる」ことによって、無機物が生まれた。
無機物から有機物が生まれるというのは、一番わかりやすい例では、植物による光合成らしい。無機物から有機物が生まれるというのは、宇宙誕生から地球の成り立ちを考えなければならないほど壮大な話らしいが、初期の地球の海は有機の海で、そこに雷が落ちてそれが生命体になった、という話は昔聞いたことがある。

こうやって、段階をゆっくり踏んでいくと、何となく「第七の天」がアタマにはいってくるではないか(笑)。

橋本先生は、シベリア抑留中だったが「古事記を思い出した」と書いてある。
原初に成りませる神はアメノミナカヌシノカミ(太極を指す?)、次に成りませるのはタカミムスビノカミ、カミムスビノカミの二柱の神様で、陰陽ではないかと推測している。ムスビとは親和のこと、タカミは上昇、カミは下降を示すことを思い「日本古代民族祖先の直感と知とを今さら見直して」シベリア抑留中であることもわすれて、感慨に打たれたいた、と書いておられる。

さて、キリスト教についても橋本先生は述べられている。
「神は愛だというが、愛とは陰陽の親和のことであって、ムスビというのはこのことだと思った。聖書に『元始に言あり、言は即ち神なりき、万物これによりて成り・・』とあるが、言が宣せられるということは、陰陽未分の一なるものの意志が陰陽二質を現わして、そこに運動が起こり、物象が形成せられることであろう」

聖書、易、古事記。いずれも根底に「太極の意志によって陰陽未分なるものが陰陽に分かれた。それが宇宙のはじまりである」という共通事項を秘めている。

改めて記しておくが、橋本先生がおっしゃっている「唯物弁証法」は「社会主義的唯物弁証法」のことだ。そして「日本人の陰陽弁証法」と言っているのは、桜沢氏の「無双原理十二定理」を指すと理解している。唯物論弁証法も枠を拡げると、わからなくなってしまうからだ(生体の歪みを正す 232ページ)。

お恥ずかしい話だが、昨年になってようやく桜沢如一氏の「易・無双原理」をしっかりと読んだ。10年前にざっと読んだ時よりは腑に落ちた。

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点

(新版。解説入りで読みやすい)

その次に、桜沢氏が子供向けに書いた「魔法のメガネ」というのを買って読んでいたところ、この図を見つけた。

魔法のメガネ―物の見方、考え方

魔法のメガネ―物の見方、考え方

橋本先生はおそらく、この図にインスパイアされたのではなかろうか。

2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催