今日も雪かきをして出勤をしました佐助です。三日目もよろしくお願いします。
最近というかここ一年ほど前まえから、気付きから生まれる学びが楽しいと感じている自分がいることに気付きました。何をしていても気付きや疑問が生まれ、みずから調べたり復習したりと学びに繋がっています。
操体の基本理念である息・食・動・想は最小限必須責任生活であり、当たり前といえば当たり前なのですが、この息・食・動・想がからだの基本となるわけですから、意識を向けることがすべての学びや気付き・疑問などに繋がるわけです。そしてみずからの意思で文献の検索や・復習するといった行動にでるのですから楽しいはずです。
最近も指紋について疑問に思うことがあり調べる機会がありました。指紋の役割を簡単に紹介すると、滑り止めの役割として捉えている方が多いようです。指紋について興味深い報告をされていたのが慶応義塾大学の前野氏の指紋がある場合とない場合、真皮乳頭(乳頭層)がある場合とない場合の解析についての論文報告です。マイスナー小体・メルケル小体・ルフィニ小体・パチニ小体の4つの触覚受容器は応力が集中している箇所に配置されていること、指紋や真皮乳頭は表層にあるマイスナー小体やメルケル小体の感度を増大させることを報告しています。
つまり、指紋は単なる滑り止めではなく、つるつる・ざらざら・しこりを察知するなど触覚の検出感度を向上する役割を担っていることになります。
そこで!!手の指紋を観察していると、手の平(手掌)の手心点(手掌側のMP関節付近)にも指先と同じ指紋をもった人が多いようです。(沢山の患者さんの手を観察させて頂きました。)特に多かったのが、薬指と小指の間の手心点です。ということは!センサーとして指先と手心点は同じ感度がある可能性が考えられ、重心安定の法則であるからだの使い方の手は小指を運動作用点・運動力点にするというように小指を活かす小指のセンサーとして高めている可能性も考えられたり、またそこから学びが広がっていきます。
指紋についても意識しなければ、気が付くことではありません。学びが楽しいと思えるようになり見えてくるものがあるから不思議です。
気付きが生まれる瞬間は楽しいと感じたり、充実していると感じることが出来るというのは、意識と無意識、自我が強すぎない、からだと魂など調和がとれている状態なのでしょうか。導かれる感じがします。
「感覚をききわける」これも本来誰もがもっている感覚にめを向けるのか向けないのかによってからだに変化が生まれ、感覚にめを向け快適感覚を味わうというプロセスを踏むことで、きっとからだは喜び、感覚を統合する脳からからだ全体に良い効果をもたらすはずです。
生命とは本当に不思議で神秘的でありがたいなぁと学びながらも感じています。
ありがとうございました。