東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

『さて困ったぞ・・・』

何が困ったかって、それは今回9週目を迎える
実効委員ブログの内容である
今回のテーマである『セックス(性)について』
という内容で何を書けば良いのかが
いまいち浮かんでこないのだ。

先日の福田画伯のブログ『性について考える』
の中にも書かれていたが、
操体法創始者である橋本敬三医師も
「セックスをレーバンステーマにしよう。」
と障害を通じて追い求めていたテーマであるし、
操体の中での最重要キーワードである
「快適感覚」「気持ちよい」という快感覚と
性行為における快感覚との質的な違い
を確認する為にもとても重要なテーマである。

とは言ってみても、セックス(性)についての話など
産まれて36年間下ネタしかしたことの
無いわたくしにとって、
この内容をアカデミックに語るというのは
本当に高いハードルである。
とにかく今回は出たとこ勝負でセックス(性)
について書かせて頂きたい。

セックスという言葉にはとても卑猥で
とても神秘的でとても魅力的な響きがある。
特にセックスについて全く無知であった
10代の頃などはsixやsoxという単語ですら
セックスと聞き間違えるくらいにその情報に飢え、
日夜妄想に明け暮れていたように思う。
同世代の男友達とであればセックス(というよりも下ネタ)
さえ話していれば会話に困ることが無い
というくらいのコミュニュケーションツールであった。
そもそも何故私たちはこのセックスという言葉を
口にすることに抵抗があるのであろうか。
本来であれば子孫を残すための本能としての行為
であるはずのセックスを恥ずかしいものとして
認識しているものは何なのであろう。
これは恐らく性欲と言う欲望の存在に
他ならないのではないであろうか。
欲望というものは理性でコントロールすりことが
美徳であると育てられる。

以前にもブログの中に書いた気がするが、
赤ん坊はからだの要求する行為だけしかやらない
しかし成長する過程において、
自分自身の欲求を制限することの重要性を
親から学習させられる。
例えば「手で食べ物をこね回しては行けない。」
「おしっこはトイレでしないと行けません。」
と欲求を制限する姿勢を望まれて成長していくうちに、
欲望を満たそうとすることは恥ずかしいことなのだ
という価値観を植え込まれてしまうのかもしれない。

社会の規則を破りなさいとまでは言わないが
ある程度自分自身の感覚に正直にしたがえる
センスも必要なのではないかとも思う。


秋穂一雄