おはようございます!今日はブログ3日目。
何とか2日間、性と血に関するブログを書けることができました・・・やれやれ・・・文章をスラスラ書くことが出来ない私・・その準備に前もって、下書きをしています・・・現在:3月14日・・あの東日本大震災が起こり3日しか経っていません(3日経ち、やっとブログを書く気になってきました)・・・
テレビの無い私は、PCから流されるNHKや民間放送局の同時映像(テレビの無い人に対して、このような処置をして戴きました)を通して、この大惨事を知り、また東京で震度5という初めての巨大な揺れを体験。
四ッ谷から新宿、そして渋谷。渋谷では長蛇の列でバスをまつこと約一時間。結局、歩いた方が早いということで、棒のようになった右脚を引きずりながら歩きました。世田谷の家まで歩き、たどり着いたのが午後10時過ぎ。
そんな中、各国のメデイアが日本人の惨事に対する冷静な対応をしきりに報じています。
確かに、渋谷でのバス待ち。だれ一人文句を言わず当たり前に列を作っていました。このことを日本人がしっかりと誇りに感じ、空前の大惨事を乗り越え、津波からの負の波動を正の波動に変換し世界に発信していく必要があると思います。
そのため今回は、自然の災害に対して冷静に対応できる希有な民族・日本人という見方から性を語っていきたいと思います。
まず日本列島という特殊な地形が関与していることは間違いありません。
日本列島は、ユーラシアプレートと北米プレートに乗っており、これらに太平洋プレート・フイリピン海プレートが複雑に接しています。ということは、1万年以上前の縄文時代から地震の恐怖にさらされてきた歴史を背負っているわけです。
その昔、真っ暗な夜、カミナリと共に今回のような津波に襲われると、巨大な龍が神の化身としてやってきた!
と感じたことでしょう。
科学が発達した現在でも、人智を超えた大災害に遭遇すると、
その化身を感じてしまいます。
それが、言い伝えとなり自然崇拝思想が築かれていったと思います。つまり自然の力にひれ伏す謙虚な心(あるいは、諦観の思想)が作られていったのだと思います。これは日本人一人一人のDNAにしっかりと刻まれています。特に縄文時代の文化発祥地・三内丸山遺跡がある東北地方の人々には、色濃く残っていると思います。
蝦夷(えぞ・えみし)、つまりアイヌ人(縄文人)が住んでいたところが東北地方。しかも、今回大震災があった三陸沖はリアス式海岸で高い津波の押し寄せるところ。
津波に対する畏敬のDNAを最も多く刻み込んでいる人々が住んでおられると思います。
被災後のインタビユーで、息子さん、お孫さんが亡くなられても、毅然と答えておられる姿勢を見るたび、胸が熱くなり目頭に込みあげてくるものがあります。東北人の冷静でしかも熱い情熱をもった底力に敬意を表すと共に、同じ日本人としての誇りを感じます。
この自然崇拝は、海を母なるもの、山を父なるものとし、その恵みの出会う場で生活できることに感謝することが根本思想。縄文の人々は狩猟民族であり、平地の少ない三陸沖は漁業が盛ん、母なる海を崇拝する縄文人の思いが根底にあると思います。
また、縄文人を現存するアイヌ人とすれば、アイヌ人にとって、人間の生は全て再生。胎児は全て祖先のだれかが帰ってきたものなのです。
このことを念頭に置いて、3月14日付け、産経新聞の最終面の南三陸町の海岸を上空から撮った写真を眺めていました。
狭く切り込まれた湾にせり出すような山並み。津波にさらわれた住宅が原型を止めず、木片となり湾内をおおいつくしています。
「何かに似てる」と感じました。
ブログ初日で
小腸内で食べ物が無構造な有機物の塊(モネラ)を形成し、このモネラから小腸絨毛上皮細胞が発生し、赤血球母細胞が新生し赤血球が造血される
と説明しましたが、その小腸絨毛上皮細胞の様子に似ているのです!全ては相似形。
亡くなった方々がおられる湾内の様子を描写するのは不謹慎。しかし申し訳ございませんが、敢えて進みます。
これが縄文時代の津波災害の後だと設定してみます。湾内に漂うのは、全て山側からの木材。そして、生き物の屍。縄文時代なら、数ヶ月もすれば何事もなかったように元の姿を取りもどすことでしょう。
ここでは、湾内に浮かぶ物ものが、小腸内のモネラに相当。
これがいつかは藻屑(もずく)となり、海に帰一する。丁度、モネラが赤血球になるように・・・つまりは、海が血液。山が内蔵系、運動系等を含む肉体となり、地球が一つの生命体となるのです。
不幸にも一瞬にして命を失った方の身になると、たまったものではありません。しかし、くりかえし再生する自然の摂理を知っている人々にとって、この海への帰一、あるいは大地への帰一は、再生への過程と考えます。
つまり、亡くなった人の魂が一度祖神の里に帰り、祖先のだれかとなって再び胎児として帰ってくるのです。
その結果、海も山も再生・生命力の象徴として崇められ海の神、山の神への信仰へと繋がっていきました。そして、この再生を促す行為がセックスであり、最も尊ばれるものであったと思います。
天と地がセックスをするのが、カミナリ。
カミナリの事を稲妻(いなずま)とも言います。大気成分の8割は窒素で残りの2割のほとんどが酸素です。雷の放電は窒素と酸素に化学変化を起こさせ窒素酸化物を作り、それが雨に溶けて地面に降ってきます。
つまり、カミナリが肥料を作ってくれるのです。それで、落雷のあったところは、豊作。それで、稲の妻(いなずま)。
また、落雷のあった場所でセックスをすると豊作つまり、子が授かるとまあ〜大らかな風習があったようです。
このように、日本人の深層には、自然と一体化した自己があり、それはまた、自然の一部であり、いずれ再生するという想いが流れているのだと思います。それが、災害に遭遇したときにある意味で諦観した想いを作りあげるのだと思います。
というとこれで、今日はおしまいにいたします。ではまた明日。ごきげんよう!
ありがとうございました。
佐伯惟弘