東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「時節到来」とそのつながりについて(2)

私は、今こそのんびりとした診療をつづけているが、若いころの私は、臨床の虫であった。臨床が好きで好きでなめまくっていた。師からいただいた、動かして診る、という診断が大好きであった。
修業時代からゆうに44年間、動診の世界をたのしんでいる。からだの構造(ツクリ)を操ることに関しては、見えない動きまでみえてしまう。からだの動きには、人格がある、んだと公言したのも私自身である。
しかし、1976年、大きな転機が訪れる。「楽から快にシフトチェンジせよ」という正師のメッセージであった。操体法そのものの、大きな転機であった。
大改革がなされたのである。楽から快へスイッチを入れかえよ」とのご命令なのだ。
当時、その正師のメッセージに、数いる多くの誰が反応したかである。
反応そのものが、また大きな時節到来の運気をつかんだことになる。
即反応すること、キャッチすること、それが時節到来の運気を運んでくる。私は即反応した。そして5年後、処女作「操体法治療室」に快にといかけた診断と操法の体系化を記した。正師はこれでいいと言われた。しかし、その多くの学び人は反応しなかった・・・・いや、できなかったのであった。その多くの人達が師の話を耳にしていながら、師の話を聞き逃していたのだ。
師は、その多くの人達に「託した」のである。このメッセージに反応しろと。
その多くの者が、その言葉にためされたのである。やっているなら、このメッセージに反応しなさい・・・と。ここで反応したものと、反応しなかったものとの、その後の学びに、大きな落差が生じてもそれは「のるかそるか」の選択なのだ。27年の空白、正師もさぞ歯がゆい思いの中で、この事実を黙認したにちがいない。・・・やっとここ数年来、今になってうすうす気づきかけて来て、楽とは言わなくなった。ただ言葉上、「楽」から「快」にスイッチが入っただけで、動診-操法には、生かされている状態ではない。
人は一度つかんだものは、あの世までもっていく。つかんだら離そうとはしない執着である。同じことを学んでいても、自分が理解できないことには、フタをするのだ。つまり無視してしまうのだ。半歩でも一歩でも踏みだす勇気がないのである。
師のメッセージを解読するのに5年の歳月を要した。そのメッセージに反応したが、頭の中が真っ白になるほどの衝撃であった。師が言われていることの意味が理解できなかったのだ。「楽と快の認識」が全くなかったのである。それから5年、「楽」から決別し、「快」への新たな決断を成す。この決断と勇気と、その試練をのり越えることも、時節到来の金を運ぶことになる。
楽への問いかけを一切なくす。それは愛に通じる勇気ある決断である。一年一年集中したすると第1分析(楽)の全貌その流れや水位が読めてきたのである。動診が操法にいたる行程すべてが操者側に管理されていることだった。