東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

モノ申ス Part2

『少年老い易く学成り難し』この諺、私が好きな諺の一つです。一般的に言われる意味としては、若い時は未だ先があると思って必死に学ばないが、時は直ぐに過ぎてしまい何も学べず年をとり終わってしまう。だから若い時から必死で学ばなければならないと言った意味です。
ここでは時間の進み方と学びについて戒めています。これは幾つになっても言えることで、学びとはいつでも良いのではなく、常に今が学び時、今が旬の気持ちが必要なのではと思います。
かく言う私も未だ学びの真っ直中であり、生涯通して学び続けるのであろうと思っています。
特に我々は師匠という自身の目指すべき目標がある中での学びなので、そういう面では非常にありがたいと思っています。
この学び方も昨今は多様化しており、昔の様に秘伝は門外不出!弟子入りしなきゃ何も教えない等と言うことは徐々に無くなりました。今では聴講生・受講生などいわゆる昔的なお師匠様とお弟子さんみたいな図式ではなく、学生感覚で自分に必要なものだけチョイスして学ぶなどという学び方まで出て来ています。
しかし、人間の一生は限られた時間しかありません。学ぶということは限られた時間の中で、どれだけの気付きを自身が得られるかだと思います。
気付きとは『破壊』であり、過去の価値観との決別でもあります。昨日までの考えを捨て、新しき価値観の中での自己の『創造』となっていくわけです。
そのためには何が必要かと言えば、やはり偉大なる『師匠』の存在なのです。
ここで大切なのは師匠との価値観の共有であり、否定の無い学びなのです。
最近の若い人達の特徴は『でも・だけど・何で?』といった『はい』と言えない人達が非常に多いことです。師匠の言葉は絶対であり、そこにはデモやダケドは必要無いのです。師匠がカラスは白いと言えばカラスは白ですし、宇宙人はいるぞと言われればいるのです。
若い人達にこの話をすると、『間違っていることは間違ってると、例え師匠でも言わなければならないんじゃないんですか!』などとアホな逆ギレする人がいます。
しかし、それこそが自分自身の『学び』の妨げとなっており、自分の稚拙な考えを捨てることが、新たな価値観の破壊と創造なのです。
自分の今まで生きてきた中での価値観で物事を考えることこそが、学びの最大の邪魔になっていること、成長の妨げになっていることに、いち早く気付く必要があるのです。今の目線では見えないものが、脚立の上に上がると遠くまでよく見える。目線が変わると見える世界が180°変わるのです。師匠の言葉とは目線を変え、もっと広い世界を見なさいという啓示でもあるのです。
そして、それに対して素直にハイと言える人間だけが師匠の居る場所へと上がっていくことが出来るのです。

ですから学びにおいて『自分らしさ』『私は』は必要ないのです。自分の心のヒダにこびり付いてる『自分・私』といった一人称の我を捨てることこそが学びの第一歩なのですから。『学ぶ』とは『真似ぶ』ことであり、師匠の完全コピーから始まり、完コピ終了後、初めて自分らしさの様なものが芽生えてくるのではと思います。
未熟な奴ほど『自分は自分は』と主張するが、自分はと言う奴に限って自分が見えてないのが現状です。一度、自分という重い衣を脱ぎ捨てて、ひたすら“真似ぶ”ことを突き詰めてみると、真の学びの道が見えてくるのではと思います。
『少年老い易く学成り難し』そして『光陰矢の如し』なのです。

東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。