東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

自然の法則にみる「快」と「楽」(3日目)

『食』の快と楽について
食べものはからだの組織をつくることと、活動のエネルギーを作る目的を持つ。蛋白質と脂質はからだの組織をつくり、糖質と脂質は活動エネルギーをつくる。また、ミネラル、ビタミン、酵素などは、蛋白質、脂質、糖質などを肉体にするための媒体の役目をしている。このように生命を維持し、活動するために食べ物は欠かせないものである。しかしながら、食べたからいいというものではない。食べ物が不足して病気をする人よりも、食べ過ぎて病気をする人のほうがはるかに多い。
ある仏教経典には「人間は喰う処のものである」と戒められているがよく言ったものだ。この「食」についての楽というのは、食することの楽しみのことである。平べったく言えば、味覚を満足させる、いわば食欲という欲の楽しみである。旨い酒やおいしいものを食べているときは、楽しいが、飲みすぎや食べ過ぎになってしまうと、その後にやってくるのは二日酔いや食べ過ぎの苦しみが待っている。現代人の病気の多くは、酒の飲み過ぎや食べ過ぎが原因になっていて、飲み過ぎや食べ過ぎは血液が汚れ、免疫力が低下し、からだの冷えを招いて脳の働きも停滞させてしまうことになる。食の楽は特に節度が重要だ。
自分の食事が適量であるかどうかを調べるひとつの方法がある。それは朝、目覚めたときに、床の中で手を握ってみることだ。もし腫れぼったく感じるようであったなら、まず食べ過ぎとみてよい。もし、からだが求めてくる食を摂取し、適量であるならば、起床の目覚めは快適で、手を握るも、指先までも力が入り、生命の息吹さえ感じるだろう。食の快というのは、朝の目覚めこそが証明してくれる。そして食べ過ぎると便が臭くなるが、良い便は臭くないものだ。からだに使い方・動かし方があるように「食べ方」というものがある。どのように食べるかというと、食べものを少しずつ口に入れてよく噛んで食べるのである。よく噛むというのは血糖値を上げ、脳の働きも良くなるだけでなく、顎の間接や顎の骨も鍛えられることになる。また細菌によって引き起こされる歯周病についても、抵抗力や免疫力が低いと感染が進行するが、よく噛むことで治りやすく、生命力も強くなる。
よく健康本には何十回噛むとか数を数えるとか書いてあるが、そんな必要はまったくない。少しの食べものを口に入れてよく噛んでいれば自然に奥へ流れ込んで、口の中が空になる。次々と口の中にほおばるから飲み込み食いになってしまうので、そのような追っかけ食いは慎むべきである。このように少しずつ口に入れてよく噛んで食べていると少しの量でお腹が一杯になってくる。そこでやめれば食べ過ぎにならないのである。また食べものについては、野菜を主にして肉や魚などの動物食を少なくし、植物性の蛋白質を摂取するのが望ましい。そしてできれば玄米食が理想的であるが、七分づきの胚芽米や五分づきの米でも良い。白米を食べるなら麦やあわ、ひえなどを混ぜて炊けばよい。
なぜこのようなベジタリアン的な食事形態が勧められるのかというと、我々の口や歯の形が密接に関係しており、人間の口と歯の形態は肉食に適した生物ではないというのが明らかである。肉食獣のように口の形状や歯の形とも尖ったものではない。肉食獣は口も歯も鋭く尖っており、他の動物を食するときに骨から肉を引きちぎるのに適した形状になっている。しかし、人間の口は平たくて奥歯は臼上の形になっている。食べものを前歯でちぎって、奥歯で噛んで、すり潰すように設計されているのだ。このことは穀物や野菜を中心にした草食系動物に近い食事形態が人間に適しているという証拠である。確かに人間にも犬歯があるが、肉食に適した歯ではない。あれは肉食獣の牙とはまったく用途が違うものだ。まさに「糸切り歯」というように糸を切る程度に尖っているだけのものであって、野菜などの繊維を切ることに越したものではない。人間はあくまでも菜食動物であり、肉を食べることを正当にする根拠などありはしない。
だからといって、何も衣食を含みすべての動物を殺すことがないよう、動物製品を一切使わないヴィーガニズムや厳格なベジタリアンを推奨するものでもない。乳製品などは食べているラクト・ベジタリアンや卵なら食べるオボ・ベジタリアンのように自分の生活に合った食物を見出すべきである。
明日は「動」の快と楽について



2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。