東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

楽と快の違いについて(初日)

前回はいつもと文体を変えて「ですます調」にトライしたが、今回はいつものスタイルで。一週間よろしくお願い致します。

「楽と快の違いについて」

この違いをクリアにし、啓蒙するのが私の生涯テーマだと決めている。

殆どの人は「楽と快は違う」というと、どう違うのか?と聞いてくる。
そういう場合、口で説明するよりも、体験していただくのが一番なのだが、口頭で説明してもなかなか伝わらないのが事実である。なぜなら、この違いは考えてわかるものではなく、感じなければわからないものだからだ。

前回も何度か書いたが「楽」と「楽しい」は違う。
「楽」と「快」の違いが分かっていても「楽」と「楽しい」の違いが分かっていない時が自分にもあったなと思う。

「楽」というのは決してネガティブな意味を持つ漢字ではない。巫女さんが病気の平癒を祈って、両手に鈴を持って振りながら楽曲に合わせて踊るという意味があるという。Being well (よくなる)

そうやって改めて考えて見ると「音楽」というのは、「楽(たの)しい音」のことで、決して「ラクな音」ではない。
「楽」≠「楽しい」という図式がわかってくると、「快」の存在がますますクリアに見えてくる。

「楽」という言葉が悪いわけではないのだ。

「快」「楽」「不快」と、3つに分けて考えてみる。この時「楽」という状態は「何ともなくてニュートラルな状態」、イメージで言えば何か人に問われて「べつに」という返事をするような感じである。バランスがとれている中立状態である。
「快」「楽」「不快」の3本柱で考えると「楽」はこのように理解できる。

今度は「楽」と「不快」の組み合わせを考えてみる。これは「楽」と「不快」でもいいが、日本語的には「楽」と「苦」とか「楽」と「辛い」とか、操体の動診方法で言えば「痛い方」と「痛くない方」「スムースな方」「ひっかかる方」という言い方もできる。

「楽」は「快」「楽」「不快」の3本柱で考えた時と、「楽」「不快」の2本柱で考えた時とでは、すこしその存在感が違うようだ。

昨年今年と、京都で奈良の北村先生の「無の操体」という話を伺った。私が思うに、北村先生は「不快」以外を「快」とし、多分「無」は「楽」(ニュートラルでなんともないが、よくなる)ということではないかと思っている。

「快楽」(かいらく)というと、どうしても私達は「酒池肉林」とか官能的な事に溺れるとか、あまりいいことを
考えないが、仏語で「快楽」とかいて「けらく」と読む。『煩悩から解放されて得られる安楽。また、浄土の安楽』を指すというそうだ。

言葉遊びしていてもらちがあかないが、机上の理論で「快」を語るよりは、味わってみるのが一番だと思う。