生まれてくるから、元々もっているもの。
生まれてきてから、身につけていくもの。
これは、勿論どちらも大切。
ただ言えることは、人生とは迷っても当たり前。
迷っているそのとき、目的を確めるコンパスがあること。
地図を確かめて、方向を決めたなら楽しみも思う存分味わえる。
この操体を学ぶたびに、不思議なことも、かみ砕いていけば理に適う。
世の中の何故?どうしてそうなるのか・・・に答えていく学問こそ操体。
情報を鵜呑みにするのもいい、何回でも味わってみればいい。
ただ、味わって気持ちいいのか、気持ち悪いのかそれは情報ではない。
これを噛み砕きもしないまま、安直に選択してしまえばそれなりとなる。
ここに、自然・不自然さを感じている意味を知る。
元々生きていくために最も大事な、元々生まれつき備わっている生命力。
それを感覚でいえば、原始感覚。
これを錆びないように磨いていく。
様々な素材を生かすため、根本的でまず”イロハのイ”となる素。
それは、”操体”であり、生かすための臨床的応用こそ、”操体法”。
”ビフテキ(=ビーフステーキ)”の好きな人もビフテキだけでは生きていけない。
スパイスも多くの種類を少しだけブレンドしてこそであり、単純な刺激では飽き飽きする。
大いにある要求のうち、際限なくなるものには、執着しないこと。
操体の本質はシンプル。
でも言葉で説明できることのみで構成されていない。
元々備わっている、”からだ”を通して、“感じること”で噛み砕いてみる。
いくつであろうと、どこにいようと、
あなたの代わりとなる、”からだ”は存在していない。
あなたを応援している、”からだ”は寡黙であなたを裏切ることはない。
そのために必要なことは、鵜呑みにしないこと。
自分自身の原始感覚に静かに尋ね、聞きわけてみる。
それは何かを感じること。
自然の中に感動を味わい、小さなコトでも嬉しくなり、他愛ないことには悩まない。
よく笑うことが出来なければ、笑顔を作る練習をすればよい。
偽物でも、フリでもいい。
本質的なものであれば、そのうち本物になるだろう。
食事を栄養(カロリー分析)から捉えず、営養(礼儀・営み)として捉える。
呼吸を吸うことが主と捉えず、吐くことを主として捉えて直す。
動きなんて自分勝手で良いんだと捉えず、本来の無駄がない動かし方はあると捉える。
考えること、思いを馳せること、言葉を発すること。
ここにある美しさを感じて捉える。
汚さに気が付いたらその時点で薄めていく努力は大きく変化を生じる。
これを私は伝えて生きたい。
美智子皇后陛下の言葉に、
「幸せな子を育てるのではない。
どんな境遇におかれても幸せになれる子を育てたい」とある。
橋本敬三先生の語っていた、”母心”に通じる。
親子を超えて何かを味わい、お互いの環境を愉しむ。
そんな意識を感じて気持ちがいい。
今日はこんなところで・・・ありがとうございます。