東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

私にとって操体とは-プロローグ-

どうでしょう?自分の携わっている仕事に対して改めて考える機会って、普段ありますか?転職や昇進など条件や待遇に対して考えることはあっても、もっと根源的な起職動機(こんな言葉は無い?)を考えることは、そうそう無いと思います。
私もサラリーマン時代に日々考えていたのは、売上げを上げることや昇進・昇級位で、入社当時のフレッシュな感覚は同僚が辞めていく時に、自分の心がブレないため、自己確認で考える位でした。
「初心忘るべからず」この言葉は仕事を行う上で、常に胸に秘めていなければならない言葉だと思っています。「私にとって操体とは」と考える時、一生の仕事として操体を捉えている今、何がそんなに操体に魅力があるのか、改めて考えてみたいと思います。

以前のBlogにも書いたことがあるのですが、私は操体に辿り着くまでに幾つかの職種に関わってきました。製造業から始まり、物販、営業職、道路舗装業など、35歳でこの業界に飛び込むまで、漠然とサラリーマン生活を過ごしていました。”漠然”という表現がピッタリだと思うのが、どの仕事も長続きしなかったことです。人間は仕事に慣れるまで3日、3ヶ月、3年かかるなどという表現を使いますが、一番長く勤めた会社が4年だったことでも、妙に納得します。私は大体、どの会社でも3年勤めると色々な矛盾との葛藤に苛まれて来るのです。「俺は誰のためにこの仕事をしているのか?」とか「このままでいいのか?」とか「俺がやりたかったのは本当にこの仕事か!?」など悶々と考え出すと、キリが無く、いわゆる”妄想苦”に陥り、転職したくなるのです。
今考えれば、経済的安定と慣れている職種のみに重きを置いて仕事を選択しており、仕事の本質よりも、安易な方へと逃げていただけだった様な気がします。

そんな転職癖の転機になったのは最後に勤務していた会社を退社し、年齢的にも再就職が厳しくなった現状を知った時でした。当時、求人が35歳がリミットのものが殆どで、履歴書を提出した時点でやんわり断られたり、得意?の面接迄行けない状況が何度か続きました。最初は「見る目が無いなぁ〜」などと、相手側の責任にしていましたが、流石に何度か続くと鼻がポキリと折れて、逆に自分の様な転職壁がある人間は必要とされていないのか?とまたもや妄想苦スパイラルへと落ち込んでいきました。

私は仕事に何を求めているのか?仕事で何をしたいのか?幸いにも時間だけはタップリあったので、真剣にこれからの人生と付き合わせて考えてみました。
ああでもない、こーでもないと数日間考え出た答えが、①「直接人と関われるもの」②「変わりがきかないもの」③「やりがい、喜びがダイレクトに味わえるもの」がキーワードとして浮かんできました。
営業職自体は人と関わることが嫌いではない私としては、好きな職種でしたので、人と関わりながら仕事が拡げて行けたらいいなと感じていました。
②は組織で働く中で、一度は誰しもが考えることではないかと思いますが、会社組織とは集団の中で与えられた職務を全うするのが、本来の使命です。極端な話し、一人が居なくても誰かがフォーローし、仕事は回っていきます。私が居なくても会社は潰れないのです。③はそのまま、ダイレクトに感謝されたり、充実感を味わいたいということでしょうか。
早い話が、自分の理想とする仕事をしようと思えば、起業するしかなく、良くも悪くも全て自分の責任で仕事が出来る方法は独立しかないと、最終的に結論付きました。そこから起業に至るまでは以前書いたことがあるので、割愛しますが、私も起業して10年が過ぎ、今迄で一番長い仕事になったわけですが、私にとって操体とは?の本題に入る前のプロローグとして書いてみました。
明日からは具体的にテーマに入りたいと思います。