東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「私にとっての操体〜その6〜」

私にとって操体とは「10割打者を目指す学問」である。

操体の臨床に限らず「マグレ当たり」というのは非常に怖いものである。
運も時には必要だと思うのだが運頼みにしてしまう自分の意識は学びの中に身を置いている者にはあってはならないものである。
私も心のどこかにそういった気持ちがあったのかもしれない。それは「結果オーライ」という気持ちである。しかし自分がやっている事に対してこのような気持ちが少しでもあるのは大変失礼である。「運も実力」と言われているが私は個人的にこの表現はあまり好きではない。物事には原因と結果があるように実力にはそれに見合った結果しか出ないものだと私は思う。もちろん「運」を全否定するわけではない。人は不可視なものと繋がっている以上そういった第三の力が働き「運」として結果に影響を及ぼすこともある。しかしそれに頼ってしまう人の「怠け心」が怖いのである。なので私は「運は自分の努力でたぐり寄せるもの」という姿勢でいる。

そういえば洋服屋に勤めていた時に上司から言われた言葉がある
「お客様が来るか、来ないかは運だと思うだろ?でも違うよ。運は自分で引き寄せるものではなく、掴むものなんだ。だからお店では待っているだけでは駄目だよ。自分達が出来る事を最大限、常にやっていなければいけないのだよ」
当時を思い返してみると10万円買ってくれるお客様に当たるのも「運が良いから」で済ませていた自分がいた。今となってはその裏での努力があったからそういったお客様を接客出来るという捉え方になった。しかし私がまだ販売員でいたならこの考えで良かったのかもしれないが今は臨床家を目指しているので「運」という言葉は使いたくない。カラダを預かっている立場では「マグレ当たり」は許されるものではないのだ。もし医者が病気に対応出来る薬が分からなかったとして運に任せて渡した薬がたまたま効いた。こんな事は実際ないとは思うがそんな事があったら結果は良くてもその医者は罪である。運やたまたまが許される世界ではないからこそ操体の臨床では100発100的を目指す勉強をしているのだ。その為には膨大な時間と努力が必要であるが勉強しにきている人達はそれを惜しまない人達が集まって来ている。そういった「10割打者」を目指す人達と勉強していることは私にとってかけがえのない財産である。