私にとって操体とは「生涯楽しむ学び」である。
つい先日、個人レッスンが終わり着替えて帰ろうとした時に三浦先生に呼び止められた。
「さっきやっていた内旋の動きをもう一度やってみなさい」と言われたので
私は先の個人レッスンで行っていた内旋の動きをそのまま表現したのだが三浦先生から待ったが掛かった。
「肘が違う。肩甲骨をもっと上手く使いなさい」
私からすればこの動きは今まで四年近くやってきた動きなので自信を持ってやっていたのだが三浦先生から見るとまだまだ改善する点があったようだ。
それは度合いこそ違うが三浦先生が橋本敬三先生の下で学んでいた時に「患者には楽ではない。気持ちの良さだけを伝えなさい」と言われた時の気持ちに近いものであったと思う。
私が今まで自分の体に何百、何千と覚えさせて来た動きに間違いはないと過信していたのは事実である。この言葉はそんな私に「体の動きはまだまだ奥が深い。過信せず、もっと勉強しなさい」というメッセージだったと思う。確かに体の動きというのは奥が深い。私が知らない動きであったり、使い方がまだまだ沢山ある。こういったQ&Aを繰り返すことが出来るのは学びの醍醐味である。人間の体は数学の方程式のように「こうすればああなる」という答えは導き出せない。常に現象であり形を変えていくものだから面白い。体の動きだけではなく、操体の哲学や理論も体型されてはいるが時代の流れや新しい気付きによってどんどん進化していく「生き物」である。だから生涯掛けて学ぶ価値は十分あるのだ。