操体法、は、操体の中でも「臨床」の部分を指します。つまり、操体法は、操体の一部分にあたります。なので、操体法だけ(つまり、臨床やテクニックのみ)勉強しても方手落ちということです。我々東京操体フォーラム実行委委員は、操体をまるごと勉強している、というわけです。
このあたりは、我々のちょっとした「心の支え」です。
なお、私自身は自分の勉強もまだまだですが、後輩の育成にも力を入れています。
私の知りあいで、ある技法を教えているその業界での第一人者の先生がいます。
その方、昔大先輩に言われたことが「間違ったことを教わっても、困るのは自分だけ。でも、間違ったことを教えたら、教えた人の分だけ困る人が増える。なので教えるということについては、細心の注意を払わないといけない」ということなのだそうです。
操体に関しては「間違ったこと」というよりは、「からだの理に適っていないこと、環境に適っていないこと」かもしれません。
また、橋本先生が現役で臨床をなさっていた時代と、現在は、やはり環境が大きく違います。
1945年(昭和20年)、800年続いた武士の時代(陽の時代)は、終わりを告げました。1945年から800年は「陰」の時代に入っています。むこう700年くらいは「陰」の時代が続くわけです。
物質的で男性的な時代から、感覚的で女性的な時代にはいり、それが続くということです。
我々は陽の時代から陰の時代の転換期(800年といっても急激に変わるわけではなく、徐々に変わると思われます。800年のうち、最初100年と最後の100年くらいは、転換期です)を経験しているわけです。
操体も、
0. 正體術の時代
1 第一分析
1-1 楽な方に動かして瞬間的に脱力(楽と快の区別がはっきりしていなかった)
1-2 橋本先生「動きより感覚を大事にしなさい」「きもちのよさでよくなる」
楽(運動分析)から快(感覚分析)への変革
2 第二分析
3 第三分析
3 第三分析
3-1 面の渦状波
3-2 点の渦状波
からだの中心、腰を要とした動きから、末端からの動きへの変革
4 第四分析
5 第五分析
というように、大きく変わっています。
何故、操体が進化してきたか。
それは、時代や環境が変わってきたということもあります。
医療の世界にしろ、セカンド・オピニオンが当たり前になりました。
昭和の時代は、バキバキ、ボキボキというような他力暴力的な施術がまかり通っており、指圧やマッサージも「強圧」というのが流行っていたそうです。
また、
「はい、治った~!!!」と、いわゆる口で「治す」治療家もたくさんいました。
一方、鍼灸師などは、職人気質というか、患者さんとコミュニケーションをとらないで「治せればいい」というスタンスが多かったようですが、今ではそうはいきません。
自分のやっていることは60年先を行ってるんで、今、理解されなくても仕方ない。
操体の常識は世間の非常識でした。
ところで、最近伝統療法カンファレンスに参加したところ、腱引き関係の方や、その他の参加者の方から「きもちいい」という言葉を結構聞きました。
まだまだ「言葉のみ感」は、ありますが「痛くなきゃ、我慢しなきゃ治らない」という時代から「きもちのよさで、よくなる」という時代に「本格的に」入って来た気がします。
一週間ありがとうございました。