東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「私にとっての操体〜その4〜」

私にとって操体とは「お天道様が見ている」という意識になるものである。
これは「背筋を正す生き方」とも表現出来るのだが、最近私は毎日の生活の中で自分が行っている事が誰かに迷惑を掛けていないかを意識するようにしている。例えば仕事先に行く時に必ず出勤の五分前にお店に入るとかトイレを使うにしても次に使う人の事を考えて使うように心掛けている。特に遅刻というのは周りの人間を不快な気持ちにさせるだけでなく、人の時間をも奪ってしまうので注意するようにしている。こういった事は当たり前の事なのだが以外に意識していないと見落としてしまう事が多く、人に多大な迷惑を掛けてしまうことになる。一体、今どれだけの人がこういった「当たり前」を普通に出来ているかは分からないが、私自身も操体を学んでいなければこのような意識を持たずにただの「無法者」になっていたと思う。
私がこういった事に目を向けれるようになったのも三浦先生やその周囲の人達の生きる姿勢を見る事が出来たからである。講習を行っている場は常に周りの人達に目配り・気配りがされた環境になっている。トイレは常にきれいな状態が保たれていて、黒板等も受講生が見やすいように雑巾掛けがされている。こういったことが当たり前の習慣として出来ているのも空から橋本先生が常に操体を学んでいる人達を温かな眼差しで見ているからだと思う。なので私生活に置いても見られているという意識で生活する事が出来、下手な事は出来ないのである。恐らく三浦先生の講義を受講された方達は操体を学ぶ前と後ではそういった意識が変わっているはずであり、このような人間性を育んでいけるのも操体の魅力の一つである。
いつも「当たり前」のように一緒にいる家族や友人、職場にいる人達からこういった心遣いが出来るか私達は常に試されているのだと思う。それはいつか自分の通信簿となり返ってくるものなので、いつも「見られている」という意識で生活していかなければならないのである。