東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

「操体と生きる2」

学びというのは「命」在るものだと私は思っている。

そして命を宿している以上は「意思」があり、常に変化していくものであるので、「永遠不変」ということは無い。学びを得ている者はその変化を常に察知し先人達から得た知恵を新しいものにしていかなければならない。そして己が得たものを次の世代に引き継いでいく「使命」があるのだ。

操体においても創始者である橋本先生の「意思」を弟子が継承し、体現してきて本日に至っている。操体を学ぶということにはそういった「責任」と「義務」を背負いながら東京操体実行委員は日々精進し、操体の本来在るべき姿を世に広めているのだ。

今回のブログではこういった操体という「命」在る哲学を私達はどのように学んでいけば良いのか、または生かしていけば良いのかを考えていきたい。

第一に教えに対し無条件で「はい!」と言えるか否かで入ってくる情報(インプット)が大きく変わってくる。これは学びに対しての「素直さ」とも言い換えられるが教えを請う者は己の思考を如何に働かせずに無条件に全てを受け入れる事が大切になってくる。
教えられた事に対し「なぜ?」「どうして?」と疑問に思うこともあるだろうが、その疑問の答えを見つけることよりも、まずは「そうなんだ!」と受け入れることの方が大切である。そうすることでその時分からなかったことが後に自ずと答えが出てくるものだと私は思う。もし機会があれば注意深く観察して欲しいのだが、教えられたことに対して頷いている人と「はい!」と言っている人がいるのだがその人達の間では明らかに上達の速度に違いがあるのである。

次に大切なことは時間•空間の「マ」の取り方が大切になってくる。武術の達人にしても同じことが言えるのだが「達人」「一流」と呼ばれる人達は「マ」の取り方が本当に上手である。それはスポーツや臨床だけではない。人前でしゃべるのが上手い人達も自分の時間•空間を絶妙の「マ」を置いて話している。私が思うにこういった人達は作法や己の持っている技術を細分化し、それを端から分からないように己の「マ」で丁寧に一つ一つこなしているのだと思う。操体を学ぶことにおいても一つ一つの作法を細かく丁寧に行っていく必要がある。その点が一つの線となり初めて一つの型に納まるのである。

2013年春季東京操体フォーラムは4月28日、千駄ヶ谷津田ホールにて開催致します。