昔、飲み屋で外気功(医療気功。健康のための気功は内気功という)の先生にスカウトされ、外気功の修業をした(現在外気功治療はやっておりません)。
私の少し後に、一人の女性が入門した。何でも北関東某所の健康ランドのようなところで、マッサージもどきをしているらしい。その女性、ある日突然「私は霊視ができる」と言い出した。何でも家出した姪っ子が数日後に帰ってくる方向と時間がピタリと当たったらしいのである。私は「ホントかよ」と思ったが、彼女は霊感占いをはじめた。またまたホントかよ、と思った。
というのは、何故か雑誌の懸賞に当たって(笑)ある霊能者の女性にチャネリングしていただいたことがあるのだが、やっぱり何だか違うのである。何と言ったらいいのか「醸し出す雰囲気」といううか何と言うか。
私は当時既に操体をやっており、開業もしていた。操体はライフワークであると覚悟していた。
一方、外気功に興味があって、外気功の先生のところに来る人達は、どうも色々なところを渡り歩いているような人が多かったような気がする。こう言うと、レイキをやっている方々に申し訳ないのだが「レイキは効かないから気功を勉強したい」という人が多かった記憶がある。勿論能力の高い方は、高度な癒しの力を持つことを知っているが、アテューメント(伝授)で、エネルギーの回路を開いても、中にはエネルギーの通りが悪い人もいるのだろう。
外気功とレイキの一番の違いは、エネルギーの出所である。
レイキは本人が宇宙のエネルギーを取り入れ流す中継点の役目を果たすが、外気功は気功師がある種の秘伝によって、気を取り込み、患者から邪気を取り去り、その後気を流し込むのである。つまり、十分な充電が必要だ。システム的には、外気功のほうが「取り去り、注入」という手順を踏むので、強力なのはわかる。
ここまで書いてきて、また気がついた。
外気功の先生方は、内気功を「踊り」と呼んでいた。例えば「内気功?悪くはないけど、踊りだよ」。外気功の修業を大雑把に言うと、毎日気を練る鍛錬をし、先生に気の通り道を開けていただく。この繰り返しである。そのうち、気が身体を巡るのを体感できるようになり、操れるようになるのである。
外気功の先生はガンなどの相当重篤な方も診ていた。
さて、修業している身としては、伝授を受ければエネルギー回路が開き、ヒーラーになることができるというのは、少し簡単すぎないか?と思ったりする。最近は自分が癒されたいので「ヒーラーになりたい」という人が多いようだが、一流のヒーラーは、「いつの間にかこうなっちゃった」と言っているが、信じがたいほどの自己投資や修業を重ねているのだ。
自分がやってみたいことを直感に従ってやるのは構わないと思うが、それが果たして「自分が疲れ切っているから」という理由や、「簡単になれるから」(まあ、国家資格や公認資格じゃないので、自己申告で「なれる」し)。
確かに回路が開くと、通常よりは感覚が鋭敏になり、優しい波動が起こるとかキレイになるとか、お水が美味しくなるとか、ペットが元気になるとか、セルフケアというのはあると思う。その、優しい波動を用いて自己表現をするのは素敵なことだ。
しかし、間に合っていない症状疾患を抱えた方々を治癒に導くというのはどうなのだろうと考える。
なるほど、これは操体と同じで「健康な人(間に合っている)人が生活に活かす」のをお手伝いするのだ。
「レイキは効かない」と、外気功の先生のところへ来ていた方々は、「生活に活かすレベル」のものを修得しているのに、「治療効果」を求めたのだ。それでは「効かない」というのも当然なのである。
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