「気持ちのよさをききわければいいんだ。気持ちのよさで治るんだからな」
操体では気持ちのよさをききわけ、味わうことで臨床が成り立ちます。
でも、気持ちのよさをききわけるって一体誰がききわけるんでしょう?
当たり前かもしれませんが患者さん本人?
それとも操者?
意表をついて両方?
見方をちょっと変えれば、いろんな捉え方ができますナ。
また、感覚(気持ちのよさ)ってのは
本人にしかわからないってことだそうですがホントにそうなんでしょうか?
そういえばよく「人の痛みのわかる人間になりなさい」なんてことも言いますよネ。
でも、そんなのなかなかわかるもんじゃありません。
しかし、「コルシカの兄弟」のようにガッチリわからなくても、何となくわかる・・・。
その何となくが何となくでなくなってきて
何となくでもわかるようになってくると(ややこしくて意味わからん)・・・。
きっとオモロイ世界が待ってるような気がしますぜ(いつもの妄想ですが)。
中谷之美