東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

〜私はおばあちゃんこ〜

今日から1週間ブログを担当します瀧澤です。宜しくお願いします。

いきなりですが今日は私の名前の由来のお話しをしていきたいと思います。

私の名前は一寛(かずひろ)といいます。
同じ「かずひろ」を名乗る方々に比べこの字を使っているのは珍しいようで
同名の方にはお会いするものの、同字の方とはまだお会いしたことがありません。

私の名前は両親ではなく父方の祖母につけてもらったのですが、
祖父の「昭一」、父の「一徳」から「一」の字をもらって、それに響きが
よいということで「寛」の字を使って「一寛」にしたのだそうです。

子どもの頃は下の名前で呼ばれる友人をうらやましく思っていました。
瀧澤という苗字のほうにインパクトがあるので親以外からは苗字で呼ばれることが
多く、もう少し呼ばれやすい名前にしてくれれば良かったのに…そんな風に思って
過ごしていた時期があります。(ばあちゃん、ごめんね)

年齢を重ねるにしたがって祖母と話をしていくうちに
「代々続いている名前の中から一字を取りたかった」、
「寛という字は寛大の寛、心の広い人間になって欲しいという思いがあった」
という祖母の思いを理解できてくるとこの名前をつけてくれたことに
「ありがとう」という思いが込み上げてきます。

三浦先生は橋本先生のもとで学ばれていたときに
「先生のやっている臨床は何ていうのですか?」
と問うたときに
「『名前なんかどうでもいい。真理が真理の力で立てることが重要なのだ』
とごしゃかれた」
とおっしゃっていました。

私の名前に関しても大事だったのは、呼ばれやすいとか、
呼ばれにくいとかではなく、そこに込められた意味。
これもその人にとっての真理となるのではないでしょうか。

奇しくも三浦先生のお名前は「寛」であり、いま三浦先生のもとで
操体を学ばせて頂いていることにご縁を感じます。
こんな風に思えるのも私の名前をつけてくれた祖母がいればこそ。

そんな祖母に私が臨床の道に入るときにかけてもらった言葉。
「人様のからだを治してやるなんて思っちゃあ、いけねえよ。
なんでもありがとうって思いなさいよ。」(イントネーションは秋田弁)

生粋のおばあちゃんこである私には忘れられない言葉です。

84歳になる今でも2階の屋根の雪下ろしをして家族をはらはらさせている
祖母へ。

この場を借りて、ありがとうございます。