東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

病気と自己責任(4)

昨日の続き

 血液は酸素と栄養とを、およそ60兆を数える人間の細胞に配る働きを日夜休むことなくこなしており、その血液が滞れば、細胞はたちまちにして窒息し、餓死してしまう。そして累々と重なった死んだ細胞を運び出すこともできなくなってしまうが、それが病気というものである。
動物でも植物でも、生きているうちは腐らないが、死んだとたんに腐りはじめる。うじ虫にしても、生きている猫にはつかないが、轢死でもしたとたんに、湧きだしてくる。病気はバイ菌が原因だ! というのは、そこのところを見たものであるが、生きている猫には決して、うじ虫はつかないように、生きている細胞には、決してバイ菌はつき得ないものである。ということは、病気の原因はバイ菌ではなく、死んだ細胞であるということを知らなければならない。どんなに、うじ虫をつくるハエが集まっていようとも、猫が元気で生きていれば、決して、猫のカラダにうじ虫は湧かないものである。バイ菌がどんなに入ってこようとも、死骸になった細胞さえなければ、バイ菌は殖えることはできないものだ。

 いちばん恐ろしいのは、バイ菌ではなくて、我々自身のからだの中の「死んだ細胞」なのである。コレラ菌やチブス菌や赤痢菌などから発症するいかなる伝染病にしても同じである。腹に内出血のない健康なからだであるならば、どんなにバイ菌を飲んでも、からだの中を素通りするだけで、いかなる病気も起こることがない。結核菌はいたるところに飛んでいる、と医学は言っている。もし肺結核が、結核菌のためだというのなら、すべての人が例外なく、肺病になっているはずである。ところが、事実は極めてわずかの人が感染するにとどまっているということは、やはり結核菌が原因ではないということだ。

 このことからもわかるように伝染病は、菌によって起こるものではない。我々の腹の内出血の有無によって決まってくるのである。この分別は、未だに、一般にはよくわかってないらしく、自分のからだの弱さが原因であるのに、病気といっては、すぐにバイ菌を殺すことを考えるのである。バイ菌も我々と同じ生き物であるから、殺されるのは嫌であり、当然に抵抗する。そのうちに抵抗が上手になって、普通の薬では効かなくなる。すると人間は効き目がなくなったから、もっと強い薬を作ることに精を出す。そして、やれやれやっとバイ菌を殺し終えたと思ったら、我々人間の方も死んでいた、ということになりかねない。

 バイ菌にも人間や他の生き物たちと同じように生きる権利はあり、無益な殺生はしないほうがよい。それよりも、バイ菌と共生する道を考えるべきである。お互いが敵同士のように見えた間柄が、共生してみると、案外味方どうしであることに気づくかもしれない。我々人間にとってバイ菌は有害だという、しかしバイ菌にとっても、薬という兵器を使う人間は有害なのである。それで当然にして人間の方に生きる優先権があると言うであろうが、そう云う人間とは、いったい何様のつもりなのか。宇宙はすべての生物に甲乙つけることなく、平等に生きる権利を与えているが、これは大宇宙の法則である。こういった大事な認識が乏しいかぎり、戦争という人間同士の殺し合いも、いつ果てることもなく続くであろう。

 このように病気というのは、闘ってやっつけるものではなく、血液の流れさえつければ簡単に治るものである。そのためには、からだのいちばん外側の表面にある皮膚と内側の筋骨とを揃えていかなければならないが、こういったからだの外と内を同時に働きかけることができる、そんな妙法があるのをご存知だろうか。操体法には皮膚に軽く接触することで筋骨格系を同時に調える秘訣がある。興味のある方は是非、操体法東京研究会を訪ねてみられたい。

明日に続く

2013年4月28日 東京千駄ヶ谷津田ホーにて、春季東京操体フォーラムを開催致します。