おはようございます。
今日はブレイクタイムのように、即興で書いてみたいと思います。
今、まさに8月27日、火曜日の早朝です。
昨夜は深夜に静かな雨が降っていました。
私は夜更けに一度眠りから醒めて、その雨の音に包まれていました。
なんとも心地の良い、包まれている感覚を味わいながら
気付かないうちに、再び眠りに入っていったようです。
最近、ご褒美のように夜明け前に目が醒めることがあり
その経験を通して「はじめて」気がついたことがあります。
私は生まれてからずっと東京都に住んでいますが
今の時期、4時くらいからゆっくりと「夜」が明けてきます。
そしてちょうど4時半くらいになった頃に
遠くの方から静かに、そして一斉に
小鳥たちの大合唱が始まるのです。
それは昼間の「チュンチュン」という鳴き声とはまた異なるもので
「会話」とも違う感じがします。
辺りはまだうっすらと明るくなり始めた静寂の時間です。
私自身もまどろんでいる状態で
ぼんやり、静かな気持ちで
「魅力的な鳴き方だなあ」と思って聞き惚れています。
そしてその「会話」とも違う大合唱は5分ほど続いたのち
示し合わせたかのように、絶妙な感じで「おさまって」きます。
やはり終わりがあるのです。
すると、そのおさまりを「合図」のようにして
今度は「待ってましたよ」と言わんばかりに
蝉の声や周辺に住んでる生き物の声が
遠くの方から聞こえてきます。
小さな音から広がっていくように
「生命の大合唱」のように辺りを包んでいきます。
「こんな朝早くからみんな起きているんだなあ」
と、しみじみその音もしばらく味わっていると
「あれ?」
気がつかないうちに夜が明けて
いつもと変わりのない日常の早朝の風景がそこにあるのです。
その瞬間、私の中で
「あ、いまの「間」が『夜明け』だったんだ」
と直感しました。
そして、こんな絶妙な「間」の時間が
毎朝のように行われているのだろうかと、感激しました。
次の日も有り難いことに目が醒めたので
まどろみの中で待っていると
やはりほんのり明るくなった頃から
小鳥たちの声が聞こえて来ます。
そしてその合唱が「おさまる」とともに
生き物の音が一斉に始まるのです。
これはいったい何なのだろう。
生き物の見せてくれる不思議に
胸がいっぱいになる想いがします。
いやいや、ちょっと待って。
私だって「生き物」ではないか。
毎朝、何者かが「指揮者」のように
生き物たちに合図を送っている。
そして、その「合図」があるのだとしたら
「生き物」である私にも感じとれるはずだ。
夜明けの営み感じ、そんな想いにかられるのです。