誰もが一度は「運動神経」の話をしたことがあると思う。
小学生の頃を思い出すと運動の出来る、出来ないは運動神経の良し悪しで決められていたように思える。だが、果たして運動能力はこれだけで決められるものだろうか?
もちろん、年齢、性別、筋肉の発達の仕方等、個人差はあるのだが、ほとんど体格が変わらない子に運動能力の差が生じてしまうのかを最初に考えていきたい。
「イメージを形にする力」
当然ながら、人間には「運動神経」と言われる神経は存在しない。一般的に運動に関する脳の指令は運動連合野→運動野→脊髄→筋肉 という流れで伝えられるといわれているが、運動神経が良い人ほどこの循環をスムーズに行っているのだといわれている。
つまり運動神経とは脳がイメージしたものをどれだけ体現出来るのかの能力を指すのだと思う。
スポーツプログラマーの講習でも「イメージング」の重要性は説いていたが、「イメージ」出来ない動きは体現することは難しい。ファッションデザイナー等と同じで頭の中で思い描くことが形にすることの大前提となる。特にカラダを使って何かを表現する人には「カラダの動き」を創造する力というのはとても重要なことになってくる。アスリートはこういった発想力に身体能力がプラスされ運動パフォーマンスが発揮される。しかしトップアスリート等を見ていると決してそれだけではないように見える。
「間(マ)という時間・空間の使い方」
こういったことは操体でも同じ事が言える。臨床やカラダの動きが上手い人は脳がイメージするカラダの動きを忠実に再現している。それは身体における「軸」と「意識」の使い方、そして何より「空間の使い方」が決定的に違うように見える。以前のブログでも少し書かせて頂いたのだが、「間合い」は運動だけでなく、人間がカラダを使わせて頂くうえでとても重要な要素になる。
「マ」とは筋骨格だけでなく呼吸・意識等、身体に相関する全てのことに関与している。よく優れたアスリートは「間合い」の取り方が上手いと言われているが、これは対人間との「間合い」だけではなく、自分のカラダに相関する(呼吸・意識・イメージ)全てのものとの「マ」の取り方が優れていると言える。
野球や相撲等を見ていると「マ」の大切さがよく理解出来る。一流のピッチャーやバッター、横綱等には独自の間合いがある。あくまで推測になるが相手の癖や自分の作法等は左脳を使い、相手・自分との間合いには右脳を使っているように見える。つまり一流になればなるほど右脳の使い方が優れているのだと思う。