私が現在、最も大切にしているのが「手」である。
臨床家である以上、この手は命に等しいといっても過言ではない。
からだのどの部位よりも気を使い、毎日時間があれば手入れをするようにしている。
私の手は自分でいうのもおかしいかもしれないが、指先は女性の手のように長く、掌はもっちりしていて、臨床家に向いた手をしていると思う。
この手は親から頂いた何にも変えがたい財産である。何をするにしても特に秀でた才能を持っていなかった私が臨床家としての道を歩んでいけているのも父、母が与えてくれた財産のおかげだと感謝している。
そういえば、昔の会社の上司がこんなことを言っていた。
「掌はその人の人生そのものなのだよ。
僕は自分の掌を見て笑っていられる人間になりたい」
そんなお酒の席で十年何年前に聞いた一言が今でも私の胸に残っている。
操体の学びを得て、ようやく上司のこの言葉の意味が少しずつ理解できるようになってきた。臨床で患者を診ていても、また自分が患者としてうけていても掌や指先からその人の歩んできた人生、心の在りかた、思っていることは自分のからだを通して伝わってくる。
きっと腕の良い臨床家は触れらただけで、その腕前がわかるのもこういったことが関係しているに違いない。
こういったことが解かってくると臨床は技術以上に、その人の生き方や思想がとても大切になるのだと理解できる。それを映しているのが掌になるのである。