〜手塚治と橋本敬三という医師〜
最近、手塚治の「ブラックジャック」を読み直している。
当時、この漫画の印象は「高額な手術費を取る医者」というイメージだけが残っていたのだが、現在は自分も彼と同じ「人のカラダを診させて頂く」立場、また操体を学んでいる者として読み直していくと、とても共感出来ること、学ぶべきことがある。
何度も読み返しているうちに、この手塚治の世界観はどこか橋本先生の哲学に似ているような気がしてならない。
手塚治は医学博士だったこと、そして橋本先生と時代が重なっていることは決して偶然でない気がする。もしかするとこの2人は接点があったのではないかと思える位に共通の哲学に共通点がある。
その一つに「因果応報」という共通したキーワードがある。
特にブラックジャックという医者は人間の因果応報の世界を忠実に表現している。
例えばブラックジャックが設けている「治療費」はお金がある人からはフンダンに取る、またお金が無い貧しい人達からはタダのような金額で治療をする。
それは自らの行いで、その報いは皆同じなのだということ、また命の対価も皆平等なのだという手塚治のメッセージがそこにはある。
橋本先生もまた「救いと報い」という表現で「この世は因果応報の世界」、つまりこの世に産まれてきている限りはもともと救われていて、報いを避けることは出来ないと説かれている。
この2人が共通して言われていることはそれだけではない。カラダ、生命の捉え方も類似している。
ブラックジャックを読んだことがある人なら見たことがあると思うが、彼が幼少時に本間丈太郎にオペをしてもらった時の話で手術中メスをブラックジャックのお腹の中に入れたままにしてしまうという話しがある。
そのメスは七年後に再びオペをする時に取り出され、カルシウムによって包まれていたという信じられないような(漫画なので実際はどうなるか分からないが…)話しなのだが、ここで手塚治が言いたかったのは「人体の神秘」なのだと思う。
人のカラダは時として私達が考えられないような奇跡(治癒力)を起こす。
それは決して偶然の産物ではない。医学的にある程度の事は解明され、カラダのことは薬や時に手術という行為で病気や怪我は治せる時代になったが、時として知識や計算では治すことが出来ないこともある。カラダには人智を超えた、何か神架かった力が働き治しをつけることがあり、自らが傷ついた、傷つく可能性を未然に防ぐ防衛本能と人間が関与出来ない治癒力があるだと説いているように思える。
橋本先生が「治すことまで関与するな」「治すことはカラダに任せればよい」と言われるのも人間のカラダに在る「神性」を悟られていたからであり、「カラダは神様からの借りものなのだから、医者が、施術者がそこまで頑張らんでもよい」と言っているように感じる。
今日は長くなりそうのでこれ位で。また明日も引き続きブラックジャックのことを書いていきます。
ブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス)
- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 1974/05
- メディア: コミック
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