三浦先生・畠山先生・今先生の著書である「操体法 生かされし救いの生命観」での橋本先生のコトバの中にこういったメッセージがある。
- 作者: 三浦寛,今昭宏,畠山裕美
- 出版社/メーカー: たにぐち書店
- 発売日: 2007/10/01
- メディア: 単行本
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「高みとは東西南北の中心点 それは横たわる十字架である。
空をきる手刀は線をえがき 一時の通過となる
痛みに言葉を与えよ 繋げ連鎖させよ
輪をえがき空を舞え
己を捧げ捨てて 己の慈しみ それにより
生まれたこころを真とする これを愛という」
改めて現在の自分がこのコトバと向き合うと以前とは明らかに違うヒビキがある。
それはこれまでの学びの中で感覚的に掴んでいたことを
言語化しきれなかった私に橋本先生がコトバとして示して下さっているように感じる。
痛みにイノチが宿すコトバとは「ヒビキ」であり、その命には波動が生まれる。それはやがて螺旋状の回転の渦が生じ、「快」へと変化し、カラダに悦なるヒビキを与える。
名も無いイノチには悲しみが産まれるように名も無い「痛み」は「不快」にしかならない。
痛みが快に変化する名こそが「ヒビキ」であり、そのヒビキはやがてカラダを介し、心と調和する。
そこから産まれた心こそが自分自身への「愛」なのだと思う。
橋本先生がここで書かれていたコトバの真意はまだ掴めない。
しかし橋本先生は私達に無限の可能性、テーマを与えてくださった。
現在の操体は一昔のものと比べてかなり進化してきているが、その進化も過程の一つに過ぎない。私達が自然法則を応用貢献していく限り、この進化は決して終わることはない。
しかしそれはルールがあってこその進化になる。つまり好き勝手な進化の先には『真の真理』は存在しないということであり、やはり操体を学ぶ人間は橋本先生が示して下さった自然法則のルールの下で進化していかなければならない。
こういった橋本が私達に示して下さったコトバにはヒトが生きるということの本当の「真理」があるように思う。また臨床家へのメッセージも隠されている。私たち操体の臨床家は橋本のメッセージ対し反応していかなければならない。それには自分が学びの中で掴んだこと、分かったことをそのままにしないことが重要である。
「わかった先にあるわからないこと」に目を向けなければならないのである。