健康を定義するのにとても難しく考える人たちがいる。 しかし、健康とは、質の良い血液が、全身の隅々までより良く巡っているということに尽きるのである。 このほかには、何も難しく考える必要はない。 要するに、血質を良くし、血行を良くすればいいだけのことである。 血質と血行を良くして、治らなかった疾患は未だかって一つもない。 これは極めて重要なことなので、しっかり理解することが必要だ。
腰痛が鍼をうってもらって治った、という人がいる。 しかし、本当に治ったのではなく、実は腰の痛みだけを隠したのである。 その人の腰痛は天から痛みが降って来たのではない。 その人の悪い生活習慣が、腰痛を作り出したということだ。 たとえば、砂糖類の過度の摂取が、腰の骨を溶かしてしまい、腰椎が歪んで神経を刺激し、痛くなってくるのであろう。 そして鍼をうったために、砂糖の悪習慣が止んだというのなら、本当にそれは治ったと言える。 そこではじめて、腰痛は起こりえなくなるからだ。
胃潰瘍で胃に痛みのある人が、西洋医学の化学薬品を服用して治らなかったのに、自然漢方薬で治ったという。 それについても本当に治ったのではなく、痛みが散っただけのことである。 胃潰瘍も、偶然に起きたわけではない。 やはり、原因と結果の法則に従って生じたものである。 怖れる、悲しむ、嘆く、というような感情を長い間持ち続けていると、誰でも簡単に胃に潰瘍を作ることができるはずである。 そんな胃潰瘍に漢方薬を飲んだことで、そのような暗い感情をもった心の日常習慣が解消したというならば、それは治ったと言ってもいいだろう。
鍼や、薬品で、疾患が一時的に消えたように見えることは確かにある。 それは、鍼がその刺激でもって血行を作り出すことができるし、また、薬品はその化学作用で血質を一時的に改めることができるからだ。 しかし疾患の原因は、鍼を打たなかったから、薬品を飲まなかったからではない。 本当の疾患の原因は、本人の常平生の悪習慣につきるのである。 その原因たる悪習慣を納めたときにはじめて、その結果たる疾患は、消えていくしかない、ということになる。
だからといって、薬や、鍼などが、まったく無用であると、一概には言えない。 薬や鍼によって一時的にも元気を取り返し、その勢いで、悪習慣を改めていくというのなら、それらの医療も、立派な貢献価値になりうる。 しかし、そんな医療によって、それで治ったと思い込ませ、本人の悪習慣を自ら矯正する機会を失わせてしまうところに、医療の危険性というものが潜んでいる。
元々、医療で悪習慣が治ったというのではないから、しばらく経つと、また病気が起こってくる。 それを何回も繰り返しているうちに、疾患はますます悪化して慢性化いくことになるのだ。
悪い生活習慣を納めるのは、あくまでも自力のみであり、他力ではなし得ないものだ。 それには本人の意識的な心が求められる。 そんな意識的な心から起こる行動は、外の空間に悪習慣を納めることなのである。