東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

『「自分らしさ」という器におさめる』

大抵の人は人生で一度は「自分らしさ」というのを考えたことがあるだろう。

 

自分の長所、または短所、自分がどういった性格なのか。ここまでは考えたことはあると思うのだが、そこから更に踏み込んで、自分にはどれだけの可能性があるのか、またはどれだけの器量があるのかまで考えてみたことはあるだろうか?

 

意外とここまで自分を自己分析する機会はあまりないと思うので、これを読んでいる人はこれを気に考えてみてほしい(特に自分と同じ30代の人には)。

まだ自分が10代の頃に描いていた自分と重なるのか?20代になり社会と現実の生活の中でどう変化していったのか?

周りの人が気付く自分の変化に自分自身が気付かないことがある。そういった自分の変化に気付かずに今日という日を過ごしてしまっている人が多いように思う。

 

私自身もここ数年の間で自分の中にどういった変化が起こっているのかをよく理解出来ていない気がする。よく友人から「昔から全然変わっていないね」と言われるが、それも何か違うような気がする。確実に何かが変化している。

一日一日、瞬間、瞬間で何か実感することが出来ない些細な変化があるのは確かなのだが、それが何なのかは分からない。

今日に至るまで「自分らしく」生きてきたつもりであったが、その「自分らしさ」は不思議なことに自分以上に他人の方がよく分かっていたりもする。

 

ただ自分の成長というか、これが変わったというのが一つある。それは「自分の器」である。

特に操体を学び始めてからの6年間の学びで得た知識や技術というのは、それを生かすための「自分らしい器」作りだったのだと思う。

 

命の営みや自然法則を学び実践していくこと、それに繋がる数々の知識、情報にしても操体を学んでいくプロセスの中で「自分らしい器」を作り、得たものを一つ一つ取りこぼしのないように無意識の内におさめているのだと思う。

それは何を学ぶにしても同じ事が言えて、知識や技術を租借し実践していく中で自分自身の中におさまる様に自分の器を皆が作っていっているように見える。

 

みなさんも今一度「自分らしさ」とは一体何なのかを見直してみてほしい。それが分かると知識や情報の入り方も変わってきて、新たな自分自身と向き合うことが出来る。そうすれば自分と自分自身が調和し、自分という器に上手くおさまってくるように思う。

 

一週間ありがとうございました。明日からは半蔵さんです。お愉しみに。