どうしても書かせて頂きたいことが生じました。
実は私、小学校の頃からのファミコン世代で、現在までも続く任天堂
のファンなのです。
なぜ任天堂なのかと言えば、自由なものつくりの視点がありつつも、
独創的であり、自分たちが本当に愉しめる、遊んでもらいたいものを
常に発信することに関して、妥協を一切していないのですよ。
儲けることを考えれば、開発の妥協もあっておかしくないのですが、
それを会社のトップが全て排してしまうところが、相当な魅力です。
(妥協しない魅力!東京操体フォーラムの三浦理事長もそうですネ)
私は今でこそ「操体」を指導し、臨床に活かせる仕事をしていますが、
小さい頃から何気なく、心の生長に必要な”良心回路”を「哲学」で通じ
て支えてくれた一つには、任天堂の経営哲学があるように感じます。
その記憶の(数多くの中の)一例を挙げます。
岩田社長が、糸井重里氏(マザーの生みの親)と懇意にされていたのはご存
じかもしれませんが、あの宮本茂氏(マリオの生みの親)との三者対談の中、
噛み砕いて味わうほど深い、人生の指針をとなった言葉がありました。
御三方に共通した見解は「簡単に大きな夢を語る人間は信用できない」
という言葉であり、私はそのとき何故、大きく夢を語ってはいけないの
かな、と非常に訝しがったのですが・・・それは、”夢を夢として終わらせ
ない”ための工夫なんですね。
「イメージできたことは、必ず実現への可能性がそこにある」
つまり、もしできないなら、やり方の問題があるか、努力の方向性が
少し違っているのかもしれない・・・という意味があった訳です。
私はこのイメージを育てて膨らませ、様々な現象に、生かしています。
そう、今できていないという事は、大きな夢を小さな夢としてかみ砕き
砕いた夢のかけらを積み上げた証(あかし)であって、何ひとつ恐れること
無く、悲観する壁にしては勿体ないだけ確信し、イメージできたのです。
いい大人になっても永遠に、操体でファンタジスタは狙っていける!
そんなことも、岩田社長の「社長が訊く」で教えてもらったのです。
代表取締役でありながら、常に技術畑(プログラマー出身)であることを自認し、
かつ、一人のゲーマー(ゲームを愉しむ事を自認している人)であり、誰よりも
自分自身の夢を全うするために生き抜いた姿に、心より感謝と哀悼の意を
この場をお借りしまして「帰一の法則」から、ご冥福をお祈りしています。
そして「いつも(今迄ではなく)、ありがとうございます!」
未知なる故の紆余曲折あろうとも、我身が滅びるとも「意志」は再生して、
類魂は不滅であるがゆえに、此の世は美しき変化を感覚とし共有する!
宇宙の生み出している調和現象は、螺旋の想いと愛を通じ、たとえ見た目
で捻じれて歪んでいても、生かされし感謝の有難味を味わい、その刹那に
時空元へ戻り、瞬時に反応できる優しく逞しい神性がヒトには宿るのです。
歪んでも、たとえどの症状的変化があろうと、時の変遷にしかすぎない。
今はどうなのか!生涯を見通せる学びの現役でこそ、人生の主人公ですネ!
岡村郁生