前日まで私のゆがみに対しての捉え方を書いてきたのだが、これらを書いていく中で疑問に思うことがあった。
それは果たしてゆがみのないカラダが本来の自然、正常なのかということである。
その定義、基準を説いている医者、施術者は私の知る限りいない。
私も操体の学びの中で不自然な中の自然ということも認識し、ある程度対称にすることで後は体が治しをつけることを念頭において臨床を行っていたが、よく考えていくと本来カラダが持ち合わせる本当の「自然」の基準というのは分からない。
左右上下均等になっているのが自然なのか?無意識の内に左右上下差を無くしていくことに捕らわれ臨床をしていたように思う。
しかしよく考えていくと人の体の内部は左右対称ではないこと、また各パーツの役割がそれぞれ異なっていることを考えるとカラダは非対称性の中でバランスを取っていて、必ずしも左右上下対象にすることが自然ではないように思えてしかたがない。
カラダの内部のように外部もまた非対称性の中のバランスというものがあり、そのバランスを上手く調和させていくことが大切なのではないだろうか?
自然なカラダの定義が無い以上、私達は何を自然として捉えれば良いのか?
その架け橋となるのが「軸」である。歪みのある不自然に見えるものも心とカラダに軸がしっかり立っていれば、自ずとカラダは自然な状態にバランスを取ってくる。
それには心と体、命が要求している自然を感覚を聞き分けることが大切になってくる。
カラダにとっての自然とは自分の頭の思考ではなく、目には見えないカラダの内部感覚の中に答えはある。
橋本先生は当時からこういったことに着目したからこそ、感覚を重視し、「治すことまで関与するな、カラダに任せなさい」と説いたのだろう。
こういった橋本先生のコトバからも目に見える現象(カラダ)と目に見えない潜象(心や空間など)のバランスを診ていかなければならない。
そのように捉えていくと人が完全なる体(構造)の自然を定義し、それに捉われる必要はなく、臨床においても歪みを全て改善する必要もないのである。
全てはカラダに任せること。私達はそれを手助けすればよいのだと思う。
おしらせ
2015年冬季東京操体フォーラム 速報です。
12月5日(土)6日(日)二日間開催決定