東京操体フォーラム 実行委員ブログ

 操体のプロ、東京操体フォーラム実行委員によるリレーブログ

空きを見詰める[岡村郁生(おかむら いくお)]

初日に書いていた、橋本敬三師の著書を丸ごと書き写しているときの
心境の変化はとてもドラマチックだった。
例えるなら、青春の初恋までの感覚に似ているかもしれない。
四十半ばを過ぎ、このような感情変化をリアルタイムで味わえたのは
我が生涯において、いつ朽ち果てたとしても忘れないだろう。

とにかく、他人に強制されてやるべき事を決められるのが、何よりも
苦痛な私にとって、いくら三浦理事長を師匠と仰いでも素直に写経で
きなかった為、ズルズルと五年近く引き延ばしていたのだから・・・。

それが五年越しに、今回だけはやり遂げることができた。
なぜかって? その、理由はたった一つ。
「写経(=丸ごと書き写すこと)は、自分の"禊ぎ"になる」と聞いた時、
”ン!”とキタからである。

ハッキリ言うが、私はドス黒い心を抱え込んでいる人間なので、多分
「環境」が今・現在のように家族を持てること自体、共に働いてくれ
る人達がいること自体、そして臨床を受けに来てくれる人達がいるこ
と自体、共に学びあえる同志がいること自体、とっても不思議なのだ。

ドス黒いからこそ真っ白な自分自身に憧れ続ける自分もいる。
できるかぎり身のまわりを清く保つことで、なんとかなってはいるが、
隙あらばダークサイドに染まろう、落ちて万歳という混沌も含むのだ。

そんな自分を知っているが故に、他人の力を借りず、自力自療が如く、
自分の意識で禊ぐことのできる、"みそぎ"という言葉に惹かれたのだ。

言魂は選びゆくものであるなら、生き様も性格も選んでいいのである。


※愛の一言:自分自身を真剣に掘り下げれば、自分自身が半分の存在で
      あることに必ず気付くものだ。
      そこで、自分自身を完全なものにするために、一つの世界
      を求めることになるのである。