愛を廻る旅の最中、昨日の朝のこと。
愛からのメッセージを受け取るような体験が訪れる。
我が家には、俗にいう「ぬいぐるみ」と呼ばれている存在
が大小含めて「数体」同居している。
御縁があって、なぜか我が家にやってきたモノたち。
別にぬいぐるみが大好きというわけではないけれども
不思議と語りかけてくるものがあるので
何となく「妖精」の一種のようなものとして、接している。
また、時に自分自身の「良心」を写す、「化身」のように見えてくることもある。
昨日の朝のこと。
身支度をして、部屋を出るその刹那
何気なく、「彼ら」に目を向けたとき、
「彼らの『目』をちゃんとみているか」
という意識が働いた。
この時、自分自身のイメージでキャッチした「目」は
現象としてぬいぐるみに縫い込まれているあの「目」のことではないようで、
目には見えない「彼らの本当の『目』」というイメージに近かった。
「せっかく目を向けるなら、その『目』に意識を合わせてみたらどうだろうか。」
そんな「だれか」からの提案だった。
「現象」の目ではなく、「潜態」している目。
そんなイメージに目線を合わせる。
それに伴って、私自身の意識も
「見ている自分」から、「見られている自分」へと変化していた。
この意識の質が変化するような感覚は
「愛」の一言で、意識感覚がチェンジしてしまったときのそれと似ているものだった。
ふっと、思い出す。
2015年1月8日に岩吉実行委員から届いた「手紙」。
締めくくりにはこう書き記されていた。
http://d.hatena.ne.jp/tokyo_sotai/20150108
『愛とは感性の方向性であり、
相思相愛とは感性の方向性の
重合である。』
私たちは操体をとおして
大いなる方向性に「重合」していく生き方を
学問しているのではないだろうか。
「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980