目に見えている「現象」は単独孤立して存在しているわけではないようで
その現象の源となる「潜象」という目に見えない支えが、たしかに在る。
潜象と現象は母から子へ。真理のへその緒で繋がっている。
ここに来て今更ながら(恥ずかしながら)
操体には一貫して「愛」が貫かれているのではないか
という予感がしてきました。
操体における「診断」。そこには「良い、悪い」という見方、捉え方
意識感覚が働く要素はまったく出て来ない。
「伏臥位にやすんだときに、右の背中が膨隆している(から)」
「仰向けにやすんだときに左右の手のひらき具合が違う(から)」
「立位にとったときに左肩が下がっている(から)」
「だから良い、悪い」というような判断は、ほとんど。
いや、少なくとも身近な御縁のある操体臨床家の口からは聞いたことがない。
余計な思考判断を働かせず、「変化」をありのまま受け取る。
こうした姿勢が一貫して操者に貫かれていること。
そして、それはそのままクライアントのからだにも伝わり、
クライアントが、自身のからだの「変化」をありのまま受け取ることにも繋がっている。
操体では初診の場合、必ずと言っていいほど、触れて診る「膝窩(ひかがみ)」
というポイントが在る。
熟練の操者にこの「ひかがみ」の触診をしてもらうと
「はっきり」とした逃避反応をからだが示していることを
「第三者的」に見届けている自分がいることに気付く。
そのときクライアントである自分の意識には
「からだの歪み」の現れである圧痛硬結「シコリ」に対して
「こいつが悪いんだ!」や
「こいつが原因か!」
というようなイメージは不思議と現れていない。
色眼鏡を外して「診る」、自身の変化。
触れられていることで、ありのまんまの「シコリ」と対面し
それが寧ろ「コロッ」として「愛しい存在」であるように思える。
愛を貫くことで、そんな「間」を操者は演出しているのかもしれない。
「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980