おはようございます。
昨日はちょっとだけ操体について書きましたが、操体の創始者、橋本敬三先生ほど愛と共に人生を歩んだ人は、いないのではないかと思っています。愛について感じ、考え、悩み、そしてまた愛から気づきを得、観の転観を迎え、大いなる安心と大いなる自信を得、真理の追求に邁進し、自然法則の応用貢献の土台を築き、その成さんとした事を愛を持って次世代にバトンを渡した。
それは、創始者の著書にも表れており、我々はその愛に触れながら操体に親しむことができる。また、その真意を一人の高弟に愛をもって託した事で、私達は創始者の成さんとした事を、道を踏み外すことなく、愉しみをもって学んでいける。
創始者は著書の中でも書いておられるように、18歳の時に山室軍平先生の「神は愛なり」という説教を聴き、いたく感激し、それから頻繁に某キリスト教会に出入りするようになったという。しかし、その教会で説いている内容に次第に不安を感じるようになったという。
なぜ不安になったのか。その教会では、人間は神の前に罪悪を犯しているものであるから、そのままでは赦してもらえない、キリストの愛を信じ、そのような行いをした者だけが救われる、といった内容に重点を置いて教えを説いていたからだ。
創始者は、こう書いている「自分が罪悪深重の凡夫であることはよくわかる。神の愛もわかる。キリストの贖罪もわかる。しかし自分はキリストを救主と信ずることによって、一旦赦されても、また繰り返し繰り返し、罪を犯すことから脱出できないのである。懺悔して悔いあらためても、またまた罪を犯すのである。この生身の体をもち、五官の貪欲な本能がそれぞれ頭をもたげてくると、どうしてもこれを制しきれないで、つい悪いと知りながら、負けてしまい、次から次へとさまざまな罪を犯すのである。」
この中の五官の貪欲な本能がそれぞれ頭をもたげてくると、というのは一つには食欲があるだろう。一番身近なものだと思う。人間だって他の動物のように、食べなければ生きていけないのだ。つまり他の生物の生命を奪わなければ生きていけない。
そういったようなことに、純真な青年期の創始者は罪悪感を感じ、霊と肉体の板ばさみにあって苦悩してしまったのだと思う。食欲に関したことに限らず、こうした罪悪意識に苦悶し、そんな自分でも救われる道はないものかと5年間苦しんだという。
そして23歳の或る日、盛岡の牧師・平野栄太郎先生から、エペソ書の第1章より創世以前の久遠の生命の観念の提示を受け、自分は生まれぬ先から、聖別され祝福された神と同格の永遠の生命そのものであるとの自覚を得た。そして「救い」と「報い」の区別をはっきり教えられたという。
そして、創始者は観の転換による悟りを得たという。つまり、霊、イノチは元々救われているという事であり、5年前の自分は肉体を有してからの現象としての肉体しか見ていなかった自分であり、肉体の心は見ていなかった。肉体の細胞を構成する原子にだって意志と意識があるのだ。肉体の要求を現象だけで、罪な欲求と決め付けていた。自分のイノチも、自分自身の細胞のイノチも、その法位は違うが、生まれぬ先から聖別され祝福された神と同等の永遠の生命そのものなのだ。といった観の転換があったのではないだろうか。
観の転換。自分を捨てる事で、自分の心を覆っているオブラートのようなものが溶けて、本来の心の在り方が見えてきたのだと思う。身ではなく、我を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。
「おれが、おれ我」と自分が、どう生きるかという観点ではなく、どう生かされている自分なのかという観点への転観。生かされて生きているという自覚。
観の転換によって、大いなる愛に気づき、大安心を得た。愛によって開眼されたのだと思う。自分自身のイノチへの自愛と慈愛、そして自己責任。自分のイノチも自身に宿るイノチも神と同等の永遠の生命そのものだが、法位は違う。
自分には、自分自身の調和を保ち、より良い方向へ導く役割がある。現世での自分の歩み方であり、これには自己責任が伴う。この世は現象による「報い」が成立する世界なのだ。愛はあっても、それを現象に反映させなければ物事は始まらない。
報いの成立する世界で、どのように救いを実すか。自分の欲ではなく、身心(みこころ)が悦び、からだ全体と心が調和に向かうもの。自分自身が生命活動を営む上で、必要最小限、自己で責任を持って営まなければ活動を絞り込んでみた。「息」「食」「動」「想」となる。
そして人間は「環境」の中で「息」「食」「動」「想」を営んでいる訳であるから、環境に適応しなければならない。「息」「食」「動」「想」それぞれに自然法則が自在してある事がわかった。自然法則が自在してある事も救いだし、自然法則は愛の結びにもなっている。
自然法則の応用貢献。創始者は自然法則の追求、追求した中から更に原究するといった学びの中から、愛をもって自分自身の生命バランスをより良い方向へ導いた。その過程で「気持ちよさで、良くなる」という事を識った。この世には、救いが貫通している事を自らが体現できた。
しかし、一個人だけ良くてもしょうがない。愛をもって他の人達にも識って貰わなければ。自分が学んできた自然法則を応用し、人々に貢献する。
創始者の成してきた道のりには、常に愛があった。操体の看板を掲げ、創始者の成さんとしたことを引き継ぐ我々も、常に愛をもって道を歩むべきだと思う。
「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
4月29日(祝)に開催いたします。
『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980